雨の日の店じまい

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その小料理屋は、大通りの道を脇にそれた場所にあり、それ故、ちょっと酒を引っ掛けていきたいとしたサラリーマンが、ばったり入って来るという事には、なかなかなり得なかった。 如月志乃は、そうした不利な立地をものともせず、6時の開店に合わせ店先を掃き、打ち水をし、万全を尽くした。 その昔、志乃の母は、甲斐性無しの夫に見切りをつけ、着の身着のまま、二歳の志乃を連れ長野から東京に出てきた。 安アパートで爪に火を点すようにして生きてきた志乃の母は、死に物狂いで働き、一人娘の志乃を高校まで出す。 そして山の手とは言い難い地域で売りに出されていた店を買い取り、小料理屋を始めた。 志乃には、高校時代将来を誓い合った恋人がいたのだが、男が大学に入った時点で、他の女に乗り換えた為、別れた。 志乃にとって、この失恋による痛手は大きく、しばらくは食事も喉を通らないほどだった。 そんな志乃を見て、母は 「店、手伝ってくれない?私も最近身体の調子がよくなくてね。 かと言ってバイト雇う程でもないし」 「うん、いいよ」 料理は得意だった。 この野菜にこの食材を組み合わせて、こう調理したら絶対おいしい! と考えるのが好きで、母にもお墨付きを貰うほどだった。 実際、店に出て身体を動かし、接客などで気を使っていると、店を閉めた後 何物にも替えがたい充実感が得られた。 こうして母と娘は、互いに足りない部分を補い合いながら、美人親子の店としての名を広めつつ、店を続けていった。 そんな中、母、由紀恵に胃ガンの宣告がなされる。 病院嫌いを明言していた由紀恵が、胃痛がおさまらないという事で しぶしぶ出掛けて行った病院での検査の結果だった。 担当医師の所見では全摘をしても、時間の問題という事だったので、手術は見送った。 「50の手前で、逝ってしまうなんて、母さんの馬鹿」 小さいながらも自分の城を築き、これから、行きたい所へ行き やりたい事にもどんどんチャレンジするはずだったのに… 「いけない、もっと早くに母親を亡くした人だっているのに。 メソメソしてたら、母さんに笑われる」 その時、がらっと戸が開けられ、客が入ってきた。 「いらっしゃいませ、こちらへどうぞ」 瞬く間に客は増え、志乃は、お茶出し、注文取り、料理提供、会計と 一人なん役もの仕事をやりこなしていく。 そして、午前0時を回った頃、最後の客を送り出し、暖簾を仕舞った。 黒澤は工務店の専務取締役だからと言って、自身が椅子にふんぞり返って、社員のみを現場に向かわせるというスタイルは、現代には通用しない過去の遺物だと思っていた。 自分が先代から受け継いだ、技能、ノウハウを若い社員に見せ、一緒に汗を流して働く。 こうした方法が功を奏したとも言え、会社は平成不況もなんのそのと言う感じで確実に業績を伸ばしていった。 「それにしても、沢村茶舗の親父が言ってた話は本当なのかな?」 解体屋の鈴木、沢村茶舗の沢村とは、一回会っただけで10年来の友人のように接してくるという、貴金属店をやっている丸田を通じて親しくなった。 丸田は多趣味で、ゴルフ、カラオケ、釣り、俳句の会と自らが主催者となってしばしば、メンバーを募り活動に精を出していた。 黒澤も含めた4人でゴルフに行った帰り、まず自宅に直行し、ゴルフバッグを置き、時間を決めて、小料理屋「如月」に集まると言うのがここ数年の習わしだった。 そして、沢村からのライン連絡網で明らかにされたのが 如月の女将が、雨降りの夜、訪れた最後の客を二階に誘う、という噂だった。 全員が如月志乃のファンと言ってはばからない4人は、その沢村からのとっておき情報を、それぞれの期間あたため「いつか必ず志乃と共に朝を迎えるんだ」とした夢を抱いていた。 正念寺の僧侶、永田継承は三回忌の法要の件で訪れた檀家から、最後に吹き込まれた話に、一人胸を躍らせていた。 と言うのも、訪れた高橋家は、代々、地域の人々の生活に深く関わってきた質屋を営んでおり、信用第一でなければ成り立たない商売柄、まず噓である可能性は低いと言う見解を持てたからだった。 それでも、まだ、確証が取れないと考えた継承は、自分の打った蕎麦を振る舞う目的で、幼馴染の男達を呼び出し、そこで話を持ち掛けようと考えた。 土曜の夜、妻が同窓会に出掛けて行ったのをこれ幸いに、継承は幼稚園の頃からの知り合いである五人を家に招き、蕎麦を囲んで色々な話をした。 最初は、今年の蕎麦の出来についてで、皆、忌憚のない意見を述べる。 「今年は最高だね。俺は85点をつける」 「去年がな、イマイチだっただけに…」 「みんな、有難う。賞賛だけではなく敢えて厳しい意見も、今の自分には必要だと思う。これに懲りず、これからもお付き合いのほど宜しく」 「おいおい、贈る言葉じゃないんだからさ」 蕎麦は、米粒と違いやたら、口腔粘膜に張り付かない為、会話しながらの食事がスムーズに行く。 継承は頃合いを見計らって、質屋の高橋から聞いた話を皆に振る。 「いやね、ちょっと小耳にはさんだんだが、駅裏に如月っていう小料理屋があるだろう?」 「あぁ、ちょっと見、アンジェリーナジョリーに似ている女将がいる…」 「そうかなぁ」 好きなタイプに無理やり似せてきている、呉服屋の西川に、皆、何か言いたそうな雰囲気ではあったが、継承の話の続きが聞きたいとばかりに無視する。 継承は、高橋から聞いたそのままを、皆に伝える。 「うーん、にわかには信じられない内容ではあるな」 「お前、そんな事言いながら、雨の日、如月にいそいそ出掛けて行くんじゃないか?」 「例え、雨の日に、女将が2階へどうぞと言ったとしても、何かそれなりの男じゃないとさ、声、かからないんじゃないかな」 メンバー中、一番、女受けがいい久光の言葉に 皆、苦虫を噛み潰したような表情になり、 会話も途絶えた。 葛飾に限らず、パチンコ店の大型店進出は、古くから地域に根ざしている規模の小さい店にとっては脅威以外の何物でもない。 そうした噂を商工会で聞きつけたパチンコ「パーラー北斎」の谷沢は、 開店以来、集客を競ってきた他店の経営者に、この難局を何とかして乗り切ろうとした文書を送った。 創業が古い「パーラー北斎」からの断っての申し出とあれば、無視するわけにはいかないと考えた「銀河」と「ジュピター」のオーナーは 気乗りしない身体に、自ら鞭打つようにして、待ち合わせの ファミレスへと足を運んだ。 「お二人とも、お忙しい所良く来てくれましたね。恩に着ますよ」 ガタイのいい「北斎」の谷沢が下手に出、愛想よく出迎える。 その時点で、何か裏があるのでは?と勘繰る二人ではあったが、 谷沢から「大型店進出に対しての対抗手段を講じる為、召集した」と 聞くと、納得して意見を出していく。 「統合?」 「えぇ。各店舗、建物も古いですしね。 どこか一店舗、潰れたら、他の店だってあっという間に消えて行くでしょう。 となると、三店舗統合して、やっていくほうがいい。 会計士、弁護士立会いの下で契約を結んでね」 谷沢の突発的な意見に、面食らった二人だったが 「わかりました。私の一存では決められない分野ですので、社に持ち帰り 良く相談してみます」 と「銀河」のオーナー南が言うと「ジュピター」のオーナー伊原も 「私も、銀河さんと同意見です」と言い、谷沢は 「そうでしょうとも」と言うように大きく首を縦に振った。 パーラー北斎の谷沢が、早々に引き揚げていった後、南と伊原は 途端に「さて、どうしたものか」と、互いの顔を見合わせた。 「大変なことになりましたね」 「ただ、メガトンが出店するのは間違いないし、確実に生き残る為には、統合も致し方ないかと…」 「話を推し進めて行く方法でやってみますか?」 着地点を見い出した二人は、途端に空腹を覚え、ミックスピザとサンドイッチを追加注文する。 「ただ、冷凍のものを温めるだけなんでしょうが、結構、いけますね」 解放感からか、瞬く間にピザ半分を平らげた南に、伊原が 「そうそう、如月って店、知ってますよね?」 と聞く。 「えぇ」 「あそこの女将について、とっておきの情報があるんですよ」 伊原は先週サウナで居合わせた友人から聞いた話をそっくりそのまま南に伝える。 「うーん、なんだかなぁ」 「信じがたいですか?」 「そうですね。ただ、個人としては限りなく事実であってほしい…という願望はあります」 「やっぱり! 私もね、聞いた翌日から、雨よ降れ降れってなもんで、一人雨乞い状態ですよ」 南は、笑顔で返しながらも「明日からはこの男ともライバル関係だ」と思い、 とっとと帰宅し戦略を練らなければと考えた。 しかし、総勢、数十人になるかと思われる男達の願いは、一向に天に届かず、来る日も来る日もビッグ ウェンズディ並みの晴天が続く。 工務店経営の黒澤は、いつものように、夕食後、妻と共に報道ステーションを見ていた。 途中、気象予報士による天気予報が流れる。 「げっ、明日も晴れ?勘弁してくれよ」 「どうしてよ、区民プールの補修工事、催促かかっているって言ってたじゃない。晴れて万々歳でしょうに」 「ほら、若い奴らって、美味だったり、かっこ良かったりすると、ヤバいって表現するだろう。それと同じ」 ー ふぅ、あぶねぇ、何とか事なきを得たが。 黒澤は、妻の顔を敢えて見る事もせず、平然を装った。 永田継承はベスパから降りると、正面玄関ではなく、通用口から家の中へ入った。 「お帰りなさい。何か飲みます?」 と、妻に言われるも 「檀家で三杯、お茶飲んできたからいいよ」 とやんわり断る。 「それにしても、なんで、こう毎日晴れるかねぇ。異常気象ってやつか…」 「でも、あなた、前に雨の日は単車使えないから嫌だって、言ってましたよね」 「言ったかなぁ。 ほら、俺って、昨日と今日とでは全く思考回路が違ってたりなんかする 典型的なB型人間だからさ」 その言葉に、正に鳩が豆鉄砲を食ったような表情で、継承を見る妻だった。 数日後、雨が降った。 からっからに渇いた大気中と、男達の心に。 しかし、工務店を営む黒澤には、大口工事受注の打ち合わせが入り、如月に出向く事は出来なかった。 さらに貴金属店代表を務める丸田も、通っているゴルフ教室でレッスンプロ直々の指導を受ける日と重なり、涙を呑む。 正念寺の僧侶、永田継承は「如月」に着ていくと決めていた洋服、一揃えを 出し、今一度確認してみる。 清潔感満載で、且つ精悍な雰囲気も持ち合わせている。 うん、 完璧だ。 こんな事もあろうかと、常日頃からLEONを購読し研究に研究を重ねてきた結果だった。 「あなたぁ」 その聞き覚えのある声に、胸騒ぎを覚えた継承だったが、仕方なく声のする 居間に向かう。 「今ね、従兄弟の礼二さんからラインが入って、遠い親戚の叔母さんが、危篤状態で墨東病院にいるから、ついててやってくれないかって。 身寄りのない方らしいの」 「…」 「で、悪いんだけど、お留守番お願い出来ますか? 夜を徹してって事もありうるから」 「俺も行くよ」 「えっ」 「そういう状況で、君一人じゃ心細いだろ?叔母さんだって、見届けは多いに越したことはないだろうし」 「すみません」 継承は、出しっぱなしになっている洋服の事も忘れ、妻と共に家を出た。 「よしっ」 パチンコ店「銀河」代表の南は、ようやく、巡ってきた雨天に向け、快哉を叫んだ。 南は、この日を無事迎えるため、人知れずそれなりの準備をしてきた。 第一に考えたのは「妻からの頼み事をゼロにする」という事だった。 妻という者は四六時中、夫に無理難題吹っ掛けてくる生き物である。 よって、予め、敵のぶつけてきそうな事案をリストアップし、言われる前に片付けてきたのだ。 ー その結果、勝利の女神は俺に微笑んでくれたって訳だ。 ー 店は弟の佳昌に任せておけば安心だしな。 南は、時計を見、10時半に家を出ようと決めた。 いざ、如月の暖簾をくぐり、中に入ると 本降りの雨のせいか、カウンターには空席が目立った。 「ラッキー」 南は、心の中で呟き、女将である如月志乃の視線から少し外れる席へと 腰を落ち着けた。 一時間も経つと、客は、南と40がらみの男女二人のみとなる。 「帰れよ。他にやる事あんだろ」 その心の声が彼らに届いたのか、男が支払いを済ませると、二人それぞれ 志乃に礼を言い店を後にする。 「あの…」 「へっ?」 「雨、降り続けてますけど、お家はお近くでいらっしゃいますか?」 「えぇ、まぁ。とは言え、誰か待っててくれる人がいるわけではないんですが」 「もし、良かったら、二階でコーヒーでも如何ですか?」 「うわー嬉しいな。大のコーヒー好きなんで」 南は、はやる心を抑え、先を行く志乃の後を追うように階段を上る。 「狭くてごめんなさいね。どうぞ、お座りください」 と、言われ、通された部屋には、これといった家財道具はなく、少々拍子抜けする。 差し出された座布団に座ると、間接照明の為、気付かなかったが 部屋の一角に無数の植木鉢が置かれているのが目に入る。 ー なんだ、なんだ、ハーブでも栽培してるのか? 「ふふっ。気づかれました?これ、ハエトリソウなんですよ」 「ハエトリソウ?」 「こうして、一日の終わりに、この子達に、ハエをパクついてもらうのが 私にとっての最高のリフレッシュなんです。 今、ご覧に入れますね」 そう言うと、志乃は、ジッパー袋に入ったハエの死がいをピンセットでつまみ ハエトリソウの開いた葉の中央に持っていく。 音こそ出ないものの、その捕食の動きは「気味が悪い」という表現がぴったりだった。 南は、嬉々としてエサを与え続ける志乃の横顔を見て、 「いくら綺麗でも、これじゃあなぁ」 と落胆する。 同時に伊原の顔も浮かび ー 抜け駆けなんかしなきゃ良かった。 と後悔した。 「とにかく、コーヒー一杯、速攻で飲んで、この場から立ち去らなければ」 ベニスの商人のシャイロックのような目つきで志乃を見つつ、南は 自身の背中を冷たい汗が滑り落ちる感覚を久しぶりに味わった。
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