嫉妬の仮面

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嫉妬の仮面

   素生は受け取った仮面を見て 「何だかひどく歪んだ顔ですね。怖いような醜いような。」 「うむ。そう見えるのだな。それは【嫉妬の仮面】じゃ。その心の源となったのは、とても美しくまっすぐな想いだったのだよ。それが積もり積もっても理想の形を成すことが出来ず、想いの先にたどり着くことが出来ず、少しずつ歪んでいったのじゃ。さぁ、これをしっかり見つめたら、ぎゅっと抱いておるのじゃぞ。」 聖者の言う通り素生は仮面をじっと見つめた。次第に胸の内がよじれていくような不快を感じ仮面から顔を上げると、素生の目の前に嫉妬の仮面を付けた幾人もの男女が現れた。 「これは・・・ これは一体・・・」 「案ずるな。これは仮面の幻。そなたに危害は加えぬ。だが、よく見ておるのじゃ。」 素生が嫉妬の仮面をぎゅっと抱きしめながら幻を見つめていると、それぞれの男女の前に更に幻が浮かび上がり様々な場面が映しだされた。  ある男の前には、立派な冠と財宝を頂く同僚を横から見ている男の幻が浮かび、その場面を見る仮面の男の手はこぶしを握り震え出していた。そして男の仮面は更に歪み憎しみの形相に変わった。  ある若い女の前には、一人の麗しい若い青年と若い女が手を取り合う場面が浮かび、その後ろには膳を運ぶ若い女の姿があった。その幻を見る女の仮面は、半分青く半分赤く恐ろしい形相に変わり怒りの仮面に変わった。  素生の目に映る幾人もの男女の前には、それぞれの幻がありそれを見る男女の仮面は嫉妬から憎しみ、怒り、恨みへと変化していた。これらの変化を目の当たりにした素生は、恐ろしくなり仮面の幻から目を背けうつむいてしまった。 「素生よ、怖いか?」 「はい。とても。胸の内が震えております。いえ、手も脚も震えております。とても見ていられません。」 「うむ。それが恐怖じゃ。怖いという心じゃ。新たに加えた一つも知る事が出来たな。 ほれ、もう一度顔を上げ、目の前の幻をよく見るのじゃ。」 聖者に促され素生が顔を上げると、目の前の幾人もの男女の仮面が形相を変え美しく輝いた面に変わる瞬間があった。 「どうじゃな? 一瞬、仮面の顔が変わるのが見て取れたかな? 嫉妬は元々、全く別の純粋な心だったのじゃ。  美しくまっすぐな心を持ち努力して日々を過ごしている者の心にしか嫉妬は生まれぬのだ。その純粋な心がたどり着く場所を失い歪んで積もり膨らみ嫉妬になり、更に歪んで大きくなって別の心へと変化した。憎しみ、怒り、恨みに変わった時、相手を攻撃し傷つけてしまうのじゃ。  そなたの死因の素となったのが、この嫉妬じゃ。嫉妬の心というものは実に多様な心へと変化する魔性の心なのだ。よく覚えておきなさい。」 聖者が言い終わると、目の前の幾人もの男女は一瞬のうちに消えてしまった。 「ここまでで3つの心を知る事が出来た。嬉しい心、嫉妬の心、恐怖の心、この3つじゃ。まだほんの入り口、そのような心があると知っただけじゃがのう。課題はあと2つあるぞ。」 「えぇ、3つの心を知りました。恐怖の心は、少し知っているような気がしました。祖母が亡くなった時に、感じたような・・・」 「あぁ、そうであったな。一人ぼっちになり悲しく心細かったのだったな。うむ。恐怖は悲しみや心細いという心と共に現れることもある。互いに前後して胸の内に現れるのじゃ。覚えておくとよいぞ。」 聖者は神妙な顔になり、それまで目の前にあった幻を追っているかのようにしばらく宙を見ている。この沈黙に素生は、ある想いが浮かんだ。 「聖者様、私・・・ 最期の時の事が知りたい。私は、嫉妬の心が素の不運な事故で死んでしまったと仰いましたよね。」 「あぁ、その通り。そなたの死因は心の臓の発作。その原因は冷たい川の水。川へ突き飛ばした侍女仲間の心には素生への嫉妬があった。侍女たちはその嫉妬心から、ほんの少し意地悪をして懲らしめたかっただけだった。  奥様に気に入られ、若様たちへのお茶出しも命じられているそなたへの攻撃だったのだよ。嫉妬がよじれた先の怒りも憎しみもあったのだろう。」 「えぇ、そうなのかもしれません。今は、何となく分かります。でも、私にはどうする事も出来ませんでした。けれど今は、もう少し仲間の侍女たちと親しくしていたら、こうはならなかったのかも。とも思います。一緒にお茶を淹れたり話を聞いていたら・・・」 「うむ。そうであったかもしれぬな。だが、どんなに親しくとも信頼があろうとも、いつの間にか本人も知らぬところで生まれてしまうのが嫉妬なのだよ。抱いた本人も意図しないうちにのう。だから魔性なのだ。  生まれてしまった嫉妬は、自分の真摯な姿の反映と受けとめ日々の努力を称え労う事で消すことも出来る。そうしてまっすぐに時機を待つ事と心に言い聞かせるのじゃ。嫉妬の心をねじらせ歪ませるのも自分、更に路を歩む力に変えるのも自分じゃ。心の魔性と上手く付き合ってゆくのじゃよ。」 素生はただ黙って大きく深く頷いた。 「では、見せてやろう。そなたの最期の場面を。」 聖者が肩の羽根筆を抜き、空を仰ぐと素生と侍女二人が浅霧川にいる場面が浮かんだ。  少し上流の方に仲間の侍女二人がいて、下流に素生がいた。そして上流の侍女の手から故意に流された金柑が素生の前を通り過ぎたかと思うと 「大変なの。金柑が流れてしまったの。金柑が流れるなんて縁起が悪いわ。お屋敷の財が流れてしまうみたいでしょ。お願い、早く拾って来て。」 侍女が言い終わると同時に、素生の体は突き飛ばされ川の中へ入り足がもつれた素生は突っ伏してしまった。そして、しばらくたっても起き上がらない素生に 「何してるの? 早く起きなさい。早く金柑を拾って来てよ。」 「早くしないと流されちゃうわ。起きて拾って。」 侍女たちが叫ぶが素生は一向に起き上がらず、ピクリともしない。怖くなった侍女たちは素生に近付き体を起こすと、素生は息をしておらず人形のようだった。辺りに侍女たちの叫び声が響く。しばらくそのまま素生を抱え呆然としていた侍女たちが、自分の足の冷たさに我に返り二人係りで素生を岸に上げた。 「素生!素生! お願い起きて。」 「素生! 起きて! しっかりして。」 侍女たちは泣きながら叫び、素生の体を揺すり胸を肩を叩いた。しかし、素生が息を吹き返すことはなかった。 「聖者様。ありがとうございます。もう・・・」 か細い素生の声に、聖者は再び羽根筆を振ると目の前の光景を消した。 「これは不運な事故だったのです。間違いなく、不運な・・・ それだけです。」 「そうだな。素生。そうだな・・・」
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