門扉の帝の審判

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門扉の帝の審判

 素生を眠りに就かせた聖者は、書き上げた素生の来世の書を持ってさらに上の階に在る門扉の帝の間へやって来た。入口には白金に輝く分厚い雲が扉となり帝の間を守っている。その扉の前に銀色の鈴が1つ浮いている。    その鈴に、聖者は羽根筆で風を送って鳴らした。鈴がリルリルリンと清らかな音を立てると、白金の扉が開き中から声がした。 「入るがよい。」 帝が聖者を招き入れた。 「失礼致します。」 聖者は入口で一礼すると、帝の間の奥へと進んだ。そして帝の前まで来ると、再び一礼して 「帝、これより下界へ降りる者の“来世の書”を持って参りました。お目通しの上、許可を頂きたくお願い申し上げます。」 と、深い青の革表紙が掛けられた来世の書を帝に渡した。 「うむ。ご苦労であった。その者は今、元気にしておるのか? 心の切り替えは出来ているのか?」 「はい、帝。ずいぶん若くして突然の不運な事故でこちらへ参りましたので、当初は混乱しておりましたが今は落ち着き、来世の希望も聞き取る事が出来ました。すでに今世から来世への課題の発掘も終え、仮面の儀も終えております。本人も来世に前向きな様子が伺えます。」 聖者が丁寧に的確に報告すると、来世の書を見ながら帝は 「うむ。それは何より。しかし、素生は若くして戻って参ったのだな。それにひとつ前の来世の書と照らし合わせると、いささか不審な点があるようだが・・・」 と書を遡り前を読み返しては今世の章へ戻りして、いぶかしんでいる。 「はい。どうもそのようで、私も不審に思っておりました。寿命は元々、20代の後半と記されておりましたので年齢にそれほど差はないのですが、死因は病であったはずなのです。  ところが今世を終えた死因は、嫉妬による故意の事故により起きた心の臓の発作。そうして死を迎えこちらに戻ったのです。」 「うむ。これを読む限りそのようだな。何とも不運な・・・ だが、これは一体・・・ 記されたものより心苦の強い過酷な結果になっているではないか。」 「えぇ、帝。その様になっております。私が推察いたしますに、他者の業に奉仕させられたのではないかと。おそらく、事故の加害者となった嫉妬を抱いた者達の今世での心苦の業に奉仕させられたものと思われます。」 ここまでの報告を終えると聖者は、悲しげにうつむいて黙ってしまった。 「なるほど。そうかもしれぬ。だとすると、何とも不運であり残酷でもあるのう。いや、徳でもあるのか・・・ これには門扉の底の帝の決定がかかったのであろうな・・・」 帝も悲しげに聖者を見つめ言葉を待った。 「えぇ、おそらく。そのような道筋かと。だから少し早く今世を終え、こちらへ戻され心苦を労うことになったのだと思われます。今世と来世の間に在るもう一つの場、門扉の底の方で来世の書が書き上げられた時に素生の来世の書が使われ、書き直されたのだと。  今世で嫉妬を抱き苦役の業をする事になった者達の苦役の源を、素生は引き受ける事となったのでしょう。なんとも不運な事にございます。」 聖者はぽつぽつと一つ一つ確かめるように話した。 「なるほど。おそらくそなたが話した通りであろう。今世で素生は、祖母の言い付けを守り目立たず心を閉ざし動かさず、人の機微を味わうこと無く過ごしたのだな。」 「はい。その通りでございます。それ故、嫉妬にも気付かず誰かを想うことも知らず、父母との情も薄いまま寿命の果てを迎えたのでございます。  ですから、来世への課題も明白でした。“人の心を知り味わうこと”“年老いて寿命の果てを迎えること”“想いのままに安心して振る舞うことを味わう”これらが大きな課題と捉え素生の希望をふまえ、そのような来世の書になりました。」 「うむ。よいのではないか。来世もまた、素生にとっては学び多き豊かな生涯となりそうじゃ。何より今世は、門扉の底の帝に奉仕したのじゃ。来世は存分に味わうがよい。」 「えぇ、帝。私もそう願いたいのです。」 聖者の顔にも、帝の顔にも笑みが戻った。 「ならばこのまま来世へ。下界へ降りるがよいであろう。ただし今回は、門扉の底の帝に書き換えられぬよう私の“確約の印”を押しておこう。そうすれば再び、誰かの苦役に使われずに済む。自らの生涯を苦役の奉仕に差し出さずに済む。来世にも小さな悲しみや別れ、心苦はあるであろうが存分に楽しんで来るがよい。  ここに許可を致す。聖者よ、素生の見送りを頼む。」 帝は、両手でしっかりと素生の来世の書に紅い“確約の印”を押した。 「ありがとうございます。帝。これで私もひと安心です。快く素生を送り出してやれます。ありがとうございます。」 聖者は深々と頭を下げた。 「ところで聖者よ、ここに記されていた“想い人の青年”は、誰なのじゃ? そなたが珍しく“仮面の儀”をして引き合わせたとなると、よほどの縁で結んでおきたい相手なのであろう?」 帝は少し砕けた様子で聖者の方へ身を乗り出している。 「あはっ。えぇ。実は・・・ この門扉の空に少し前に戻った者で、素生の魂を探していた者がおりまして・・・」 「ほう。それは興味深い。少し聞かせてはくれないか? その者の来世の書は、まだ届いておらぬようだが・・・」 「えぇ、まだ帝にお見せしておりません。実は今、別の間に待機させておるのですが・・・ 異例ではありますがお目通り願えますでしょうか? その者に来世の書も託してございます。」 「むむ? これまた珍しい。聖者が下界の者に来世の書を託したと・・・ どういう事じゃ? その者は一体どのような者なのじゃ。すぐにこちらへ連れて参れ。」 帝の言葉を受け、聖者はすぐに扉を出て別の間に控えている青年を呼びに行った。 帝は立ち上がり雲の間を行ったり来たりしながら、落ち着かぬ様子で聖者の帰りを待っている。  しばらくして、リルリルリンと扉の前の鈴が鳴り、再び帝の間の扉が開いた。聖者の帰りを待ちきれずにいた帝は、扉の方へ歩み寄り手招きをしながら言った。 「おう戻ったか。待っておったぞ。さぁ、早く奥へ。奥へ入れ。」 聖者は、来世の書を抱えた青年を連れて戻って来た。 「帝、お待たせいたしました。別の間より青年を連れて参りました。」 聖者が言い終わると、青年も深々と頭を下げ 「帝、ご無沙汰しております。此度のお目通り叶いましたこと、御礼申し上げます。」 と、まっすぐ帝を見つめて言った。 帝はじっと青年を見つめ、しばらく思い出すように天を仰ぐと 「あぁ、思い出した。そなたは、聖者見習いの者だな。確か、研修の為に下界へ降りていた。」 「はい。その通りでございます。下界で3回の生涯研修を終えたら、この門扉の空で聖者としてお仕えする事になっています。これまでに2回の生涯研修を終えまして、次が最後でございます。」 「おぉ、そうか。そうであったか。それはご苦労であった。2回の研修、実りのほどはいかがであったかな?」 「はい、帝。2回とも学びの多い生涯でした。一度目は、戦乱の地で僧侶として生き民の苦しみを聞き寄り添い、死に逝く者に経を上げ弔い尽くしました。また、仏の心を学び実践に努めました。  二度目は、都の役人となり民の日々の暮らしの為に何が出来るかを考え尽くして参りました。その中で、人の心の尽きぬ欲も見ました。権力というものの魔力に憑りつかれ財を成すこと、人を操り己の利、更なる高みの権力を得る者達の心を見ました。そして、その者たちの無残な最期も・・・ 一方で、ひたすらに家族の為、民の為、国の為に尽くす者を見ました。とても貴重な学びでした。   私はこの二度目の生涯の中で素生を見かけました。その時は、和寿(フショウ)という名で都に暮らし、都の外れに設けられた救済所で給仕の仕事をしていました。よく気の付く優しい娘で、民にも寄り添いよく話を聞いてやっているようでしたが、和寿の心は繊細過ぎたのでしょう。民の苦しみに寄り添ううちに自分の苦しみと分けることが出来なくなり混乱に飲まれ、大川に身を投じてしまったのです。  私は役人でありながら、救済所を守ってくれている和寿を助けてやる事も出来ませんでした。それがひどく心に残り、私自身のしこりとなっているのです。  ですから3回目の最後の研修では、彼女に出会い生涯を温かく見守り平穏な民の暮らしを全うして終えたいと思い、私を指導してくれた聖者様に相談したのです。」 青年は、淡々と落ち着いた様子で話してはいたが、語られた想いは熱く帝の胸に届いた。 「うむ。なるほど。そうであったか・・・ なるほど。それで合点がいったわ。素生の来世の書が門扉の底の帝に使われたことにな。素生はその前世で、自ら命を絶ってしまったのだな。だからその心苦を解消するために、苦役の奉仕が必要だと・・・」 帝は深く頷いた。 「えぇ、帝。私もそのように思います。大変異例ではありますが、私の一存ですでに“仮面の儀”も行っております。どうか来世、この二人を出逢わせ生涯を穏やかに過ごさせてやっては頂けないでしょうか。」 聖者は雲に額をつき、手をつき帝に願い入れた。隣にいた青年も慌てて伏し、聖者と並んで願い入れた。 「よし、分かった。異例ではあるが、此度のそなた達の願いを聞き入れよう。となれば、これを持って行くがよい。聖者よ、用い方は分かるな。」 帝が差し出した白銀雲の盆には、紅い丸薬が2つと小さな紅い絲輪が2つ載っている。 「はい、分かっております。ありがとうございます。帝、これを使わせて頂くのも久しぶりでございますな。きっとこの二人は、世の大役を担ってくれる事でしょう。世に愛の力を見せてくれる事でしょう。ありがとうございます。」 聖者の顔には笑みが溢れている。その横で、まだよく事態を掴めていない青年も聖者に習い礼を述べた。 「さぁ、早く。この場でその青年に飲ませ下界へ旅立たせると善い。早く来世の書を見せてみよ。」 帝の仰せに青年は急いで前に進み出て来世の書を手渡すと、帝は目を通し確約の印を押した。青黒い文字の来世の書面に、紅い帝の確約の印が鮮明に浮かんでいる。 「これで善い。二人は来世で必ず出逢う。共に歩む道を選ぶ。さぁ、早く青年を送り出せ。素生より先に下界へ。」 帝にせかされた聖者は、微笑みながら青年の右手の小指に紅い絲輪を通してやり紅い丸薬を飲ませた。青年の小指に通された紅い絲輪は、すぅーと縮まり指にぴたりと納まると透明になり見えなくなった。 「帝、ありがとうございます。これで私も安心でございます。では、この者を下界へ送り出して参ります。」 聖者は、白銀雲の盆に残ったもう一つの紅い丸薬と絲輪を懐にしまうと、再び深く帝に一礼し青年と共に帝の間を出た。 「青年よ・・・ 旅立った来世で素生と出逢い、出逢った後の道をどのように歩むのかは自分次第じゃ。心に背くことなく歩んで来るがよい。だが、どんなに心に忠実であったとしても心残りや悔いは残る。生涯を全うしたら安心して戻って来るがよい。」 帝は扉に向かう二人の背を見送りながら呟いた。      下界への降り口に着くと、聖者は青年にしっかりと向き合い 「最後の研修は、素生と共に十分に民の暮らしを味わってくるがよい。愛の世界を学んで来るとよい。帰りを待っているぞ。この研修を終えたらそなたも聖者だ。その時、この紅い丸薬と絲輪のことを教えよう。聖者となったそなたも、いつかこれを誰かに使ってやる日が来るかもしれぬ。待っているぞ。」 そう言って青年の手を握った。 「はい、聖者様。此度はお力を貸してくださり、ありがとうございます。行って参ります。無事に研修を終えて参ります。待っていてください。」 青年は聖者の手を握り返すと、一つ大きく頷き青白い魂の光となって下界へ降りて行った。 「これで善い。これで善い。さぁ、後は素生だ。急ぎ素生の元へ参ろう。」 聖者は、青年の姿が見えなくなるとくるりと向き直し素生の元へ急いだ。
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