X 朝の支度

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「――あぁ、あの」  とうとうこの空気に耐えられなくなったのか、ネルが恐る恐るといった様子で声をあげた。 「お嬢様方に、ドレス……、合いますかね」  その言葉に、アイリーンが「ふむ」と小さく呟き、私とレイの身体――体型や背丈だろうか――を順番に見遣る。 「合わせてみないと分からないわね。大きい分には構わないけれど、あまりにもサイズが合わない様だったら奥様に相談する必要があるわ」 「お、奥様に、相談するんですか? 旦那様ではなくって?」 「婦人服の話を男性にしても仕方がないでしょう」  会話を交わす2人を見るともなしに見ながら、アイリーンも目下の人間には砕けた喋り方をするのだな、なんて事を思う。使用人の上下関係や、内部の事については全く詳しく無いが、彼女は比較的、この屋敷内で位の高い人間なのではないだろうか。あの男――ラルフからも信頼されている様に見える。 「――お召し物の支度を致しますので、どうぞこちらへ」  いつの間にか2人の会話は終わっていて、曖昧な表情を浮かべたネルを他所に、アイリーンが奥の部屋へと進んでいく。その後を追いかけると、レイがややうんざりとした様子で私についてきた。  通されたのは、クローゼット備え付けのドレッシングルームだ。想像以上に大きく、家の二階にあった私たちの部屋と同じくらいの広さがあった。 「……うわ」  アイリーンがクローゼットの扉を開くと、ぶわりと沢山のフリルやレースが飛び出した。思わず仰け反ってしまう程に圧迫感のあるそれ等は、一つ一つ丁寧にハンガーに掛けられた上質なドレスだ。  ハンガーのフックやポール部分には充分なゆとりがあるというのに、何故開けた瞬間に布が飛び出すというのか。それは、裾に向かうにつれてボリュームが増していくドレスばかりだからである。これ程ボリュームのある裾を持つドレスならば、押し込まなければ入らなさそうだ。  クローゼットの中にぎっしりと並ぶそれ等に呆気に取られていると、アイリーンがどこからか大きなジュエリーボックスを持ってきた。細かな模様が彫られた、重たそうなものだ。よく見ると小さな鍵穴が付いている。彼女が慣れた様子でボックスの鍵を開け、蓋を開いた。  現れたのは、私などが触っていい代物では無いと一目で分かる宝石。それも、一つや二つじゃない。ジュエリーボックスの中に、様々な色や形をした宝石が、所狭しと敷き詰められている。思わず悲鳴が出そうになり、ぐっと息を呑み込んだ。  指先に力を籠めただけで、簡単に壊れてしまいそうだ。一つ壊したら、何ポンドの損害になるのだろう。考えるだけで眩暈がする。  ――ついうっかり、触ってしまう距離に居たくない。出来れば今後一切そのジュエリーボックスを私たちの前に持って来ないで欲しい。  敷き詰められた宝石たちは、光に照らされてキラキラと輝いている。まるで怯える私を、嘲笑うかの如く。 「わ、綺麗」  しかしレイは私の気持ちなどお構いなしに、大きな宝石が付いたアクセサリーを摘まみ上げた。その姿に、今度こそ声にならない悲鳴が漏れる。  やめて、不用意に触らないで、と言う私の声が聞こえているのか居ないのか、レイは今も宝石を光にかざして様々な角度から眺めている。  半ばアイリーンに引っ張られる様にして、クローゼットの前にやってきた。何度も振り返り宝石を眺めるレイを見ていると、アイリーンが「宝石はそう簡単に壊れるものでは御座いません」と呆れの混じる声で言った。決してそういう問題ではないのだが――と思うも、これ以上言っても無駄なのだろうと察し、渋々とクローゼットに向き直る。  並んでいるのは、ファッションに興味の無い私ですら惚れ惚れとしてしまう美しいドレスだ。けれども今のこの状況で、ドレス選びを楽しめる方がどうかしている。これ程美しいドレスならばどれを着ても大して変わらないのだから、適当に選んで着せて欲しいとすら思った。つまり全てが面倒であり、責任が問われる様な事を少しもしたくないのである。
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