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「お気に召しませんでしたか」
アイリーンの声が聞こえ、ぱっと顔を上げる。彼女のガラス玉の様な瞳と鏡越しに視線が交わり、止まる事無く沸き上がる不安からその場に俯いた。
「い、いえ、私たちが、デザインの違うドレスを着る事が、過去に、無かったので」
言葉に詰まりながらそう答えると、彼女は興味があるのか無いのか分からない声音で「左様で御座いますか」と返した。上目遣いに鏡を見遣ると、アイリーンはクローゼットの中のドレスを漁っている様だった。何を探しているのだろう。
ややあって、彼女がドレスを見つめながら「なるほど」と呟き、私たちの方に身体を向けた。今度は身を捻って振り返り、鏡越しでは無いアイリーンを見る。
「確認した所、同じ色合いやデザインのドレスが複数御座います。イブニングドレスはどれも落ち着いた色合いですので、その中でも似たデザインのものを夕刻までに用意させます。無ければ――元針子仕事をしていた使用人にリメイクさせましょう。
ご希望でしたら、今からでも似たデザインや色合いのデイドレスをお探しする事は可能で御座いますが、如何なさいますか?」
予想だにしていなかったアイリーンの言葉に、思わず「え?」と間抜けな声が漏れてしまう。
変更、とは、今からもう一度着替えるという事だろうか。コルセットまで変更する必要は無い為ドレスのみだろうが、このドレスを着用するのもそれなりの時間が掛かった。貴族のドレスは、頭から被ってホックを留めれば終わり、と言う訳では無いのだ。それを今からもう一度やるだなんて考えるだけでも気が遠くなる。
「あ、あの」
それよりも、彼女の言葉で気になるワードがあった。
「い、イブニングドレス、ってなんですか……? 何処かに、出掛けるという事ですか?」
「夕刻から夜間に掛けて着用するドレスで御座います。お嬢様方に、外食や来客のご予定は御座いません」
「……夕食を食べるだけの為に、わざわざまた着替えるんですか?」
「お召し物を変えるのは夕刻時だけでは御座いません。1日4回から5回着替えるご婦人もいらっしゃいます。お嬢様方は現在、外出の許可が旦那様や奥様から得られておりませんので、1日2回で問題ありません」
「…………この――デイドレス? で、夕食を食べたらいけないんですか?」
「夕刻から夜間に掛けてはイブニングドレスを着用するのが基本となります」
今度こそ、眩暈がした。
服なんて、1日1着で良いじゃないか。何故、何度も何度も着替えを行う必要があるのか。また日が落ちれば着替えをしなければならないのかと思うと、心の底からうんざりとしてしまう。
彼女は〝基本〟と言うが、恐らくそれが貴族社会の〝常識〟なのだろう。いずれこの屋敷から抜け出すにしても、今日明日の話では無い。この屋敷に滞在している間は、貴族の常識に従う必要がある。
「……分かりました」
渋々了承すると、アイリーンが小さく頷いて踵を返した。
「朝食のお時間です。ご案内致します」
そう言ってドレッシングルームを出ていく彼女の後ろを、レイと共に慌ててついていく。
部屋を出る直前、チェストの上に置かれた豪奢なからくり時計に目を遣った。朝食だなんて言うが、着替えに相当な時間を掛けてしまった為ブランチになるのではないか。そう思ったのだ。
しかし時計を見る限り、目覚めてからまだたったの30分しか経っていなかった。その衝撃に思わず足を縺れさせてしまい、一歩後ろを歩いていたレイが巻き添えを食った様に私の背にぶつかった。
「え、何、どうしたの?」
彼女の問いに、なんでもないの、ごめんなさいと早口で答え、再びアイリーンを追い掛ける。
――こんなにも濃い時間を過ごしたというのに、まだ30分だなんて。
それは、戦慄に価する衝撃とも言えよう。けれどもそれを口に出す余裕なんてものは無く。
今はただ、黙ってアイリーンについていく他無かった。
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