8 謝罪、そして

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8 謝罪、そして

 さっそく今日の定時上がりに飲むことになった。場所は今村部長も言っていたように、まだあの人がいい上司だったころふたりでよくいった居酒屋だった。  店に着くと予約をしてくれていたのか、飛び入りでは入れない奥の座敷へと通された。座敷と言っても周りの視線は遮れても声まではそうはいかないし、少し大きな声を出せば聞こえるから変なマネはできない。多少は気遣ってくれたということだろうか。  今村部長はオレが座るとすぐに土下座して、「今まですまなかった」と額を畳に擦り付けるようにして謝った。そしてそのまま、これまでの経緯をときどき声をつまらせながらも感情はできるだけ交えず、事実だけを語ろうとしているようだった。  すべては今村部長の様子がおかしいとオレが感じていた七年前から始まっていて、オレが裏切られたと思った同期の小日向(こひなた)が関係していた。  当時小日向は今村部長に好意を寄せていて、オレと同じ条件(新入社員)であるはずなのに、今村部長がオレばかりに構うのがおもしろくなかった。なんとかして自分の方を振り向いて欲しくて、必死に契約をいくつも取ってみてもなにも変わらず(ここまでで二年ほどが経過している)。それなのにオレたちはますます仲良くなっていって──、自分を上げてもダメならオレを下げようと、オレを排除する方にシフトチェンジした。最初はオレが陰で今村部長の悪口を言っているといった感じの軽いものから始まって、ありもしない誰かとの爛れた関係だとか、適当な仕事をするから自分にその皺寄せがくるだとか、オレのことをちゃんと見ていたら嘘だと気づくレベルの話を吹き込み、時間をかけて今村部長に信じ込ませた。そのせいで、今村部長のオレを見る目が段々おかしくなっていった。事実ではないが可愛がっていた部下の裏切りを知り、人間不信気味になっていた今村部長の心の隙に小日向はうまく入り込んだ。  それから五年ふたりは恋人関係にあって、その間も小日向がオレの悪口を止めず、今村部長のオレへのあたりがよりきつくなっていった──。  そこまでして付き合ったふたりなのに、小日向の転勤を機に別れてしまった。それも小日向からの一方的な別れで、精神的に不安定になった今村部長にさらに小日向は追い討ちをかけた。別れ際、オレに対する悪口の数々、今までのことすべて(・・・)が嘘だったと洗いざらいぶちまけた。  そのとき今村部長は、小日向のことを本気で愛していたらしい。だから真実を知って、オレへの罪悪感を抱くよりも、愛する恋人に騙されていたことがショックすぎて、崩れた精神バランスを保つようにオレへのパワハラモラハラをエスカレートさせてしまった、ということだったらしい。 「こんなこと早く止めなくてはと分かっていたのに、止めることができなかった。だがお前の毅然とした態度を見て、急に自分のことが恥ずかしくなったんだ。俺はかわいい部下になにをしているんだ──って。少し考えれば分かったことだった。お前が誰かの悪口を言うだとか、いい加減な仕事をするわけがなかった。ましてや身体を使うなんてことあるはずがなかったんだ。それなのに──信じてやれずにすまなかった。長い間本当に申し訳なかった──」  小日向から話を聞けていないから、これがすべてだったとは言えないのかもしれないが、だいたいの経緯は分かった。話を聞いて、怒りというよりも虚しさが残った。  オレが体験した地獄は、結局は今村部長と小日向との恋愛のいざこざからきているのだとすると──あまりにもあんまりな話だと思った。  さっきオレの毅然とした態度を見て、急に恥ずかしくなったと言ったが、それは今村部長から学んだものだ。まだ今村部長と仲が良かったころ、オレは今村部長のそんな姿に憧れて、尊敬もしていた。それなのに、オレの知らないところで生まれた悪意によって無惨に踏みつけられ、身体中をナイフで何度も刺され、抉られ続けてきた。  痛みを堪えるみたいにオレは自身を抱きしめて、息を吐く。  だがこのひどい話にも少しだけ救いはあった。事実は事実として伝えてくれたが、今村部長は最後まで小日向に責任の全部を押し付けたりしなかったことだ。まだあの尊敬していた今村部長の欠片でも感じることができてよかったと思った。それだけで昔のオレの今村部長に対する純粋な好意が報われる気がした。    これからは普通の上司と部下としてやっていくことを約束して、食事もせずオレは店を後にした。  一応はこれでオレと今村部長の話は決着したということになる。  まぁ正直な話、もうあの理不尽がオレに向かないのならどうでもいい。それよりも……。  店を出る前からオレの心はもうそこにはなくて、(えむ)くんに会いたい、それだけだった。
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