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2 オレの事情 ①
オレのデスクにはいくつものファイルが堆く積まれていて、いつ倒れてもおかしくない状態だった。もはやそれは日常で、減らせばその分増えるし、よける場所もないのでそのままにしている。今日もいつものようにその中で優先順位の高い方から淡々と処理していく。
とんでもない量の仕事量だが、うちは別にブラック企業というわけではない。そうではなく──と、とある人物を思い浮かべたせいで手が少しだけ止まった。するとそれを咎めるようにすぐさまPCの画面の端にポップアップするメッセージ。ポンっポンっと続くメッセージにオレはビクッと肩を振るわせた。背中にはメッセージの送り主である人物の嫌な圧を感じるが、振り向くことはできないし、許されない。はっはっとうまく吸えない息をなんとか吸い込み、一度目を閉じるとメッセージに目をやった。
【さぼるな】【働け無能】【給料泥棒】【五分後第二会議室】
本当なら見たくもないメッセージにざっと目を通し、誰にも見られないようにすべてを閉じた。そしてオレは、重い腰を上げた──。
*****
オレの名前は笠井 信太朗。この会社に勤めて十年目の今年で三十二歳になるなんの取り柄もない、命令でしか動けず、それすらも満足にできない無能──、こんな風に自分のことを表することが癖になってしまったつまらない男だ。
研修期間を経て、入社以来最初の配属先である第二営業課で事務仕事をしている。資料のまとめや電話応対などデスクワークが主で、顧客と営業とを繋ぐパイプのようなことはしても直接契約を結ぶなんてことはしない。それが本来のオレの仕事だった。
指示通り第二会議室にきていたオレに遅れること五分、呼び出した本人が現れた。オレの姿を認めるとその人、今村部長は、意地悪くニヤリと笑った。ドアが閉まり、カチャリとかけられた鍵の音に鳩尾辺りがキリリと痛む。
「笠井、契約は取れたのか?」
「い……え、あの……すみ、ません……」
さっきも言った通り、直接契約を結ぶことはオレのやるべき仕事ではない。だがここでオレの仕事ではないと言ってみても、なんの意味もないことは分かっていた。かえって状況を悪化させ、生意気だと暴言の数々を浴びせられるのがおちだった。
「笠井、お前は今年で何年目だ?」
今村部長とは入社以来の付き合いになるので知らないはずがないが、あえて訊くのは圧を与えるためなので、答えないわけにはいかない。
「──じゅ……十年目、です」
「十年と言えば、もうベテランだよな? それなのに一件も契約が取れないとは、どれだけ無能なんだ。新人のころみたいに謝って済むと思うなよ」
ぎろりと睨まれ、身が竦む。暴力を振るわれたことはないが、言葉や圧だって人は傷つき怯えるのだ。しかもこの状態がもう何年も続いていて、オレは自分が思ったことをロクに言うこともできず、どんな理不尽なオーダーにも黙って従う方が楽だとさえ思っていた。
「は……は、い。すみま……」
「ほら、また謝って誤魔化そうとする。お前に覚悟があれば、いくらぐずのお前でも一件くらいは契約できそうなものだがな。なんでできないかなぁ。そうしたら俺だってこんなに何度も呼び出したりしないんだよ。まったく時間の無駄にもほどがある」
「…………」
俯き黙ってしまったオレに盛大なため息を吐きかけると、今村部長は第二会議室から出ていった。
それで『覚悟』を求められることがなくなるわけではないが、同じ部屋に今村部長がいないというだけでやっと息が吐ける気がした。
なんでこうなってしまったんだろう──。
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