不幸中の幸甚

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 出張帰り。俺は久々にバーに寄った。  マスターにご挨拶し、カウンターへと腰掛ける。今日の客は俺一人のようだ。    等間隔に並べられた照明。瓶の並べられた棚を照らす光。しっとりとした洋楽に、マスターの奏でるシェイカーの音色。何一つとっても、最後にここに来た数年前と変わることはなかった。いや、初めてここに来た十年前とも変わっていない。  就職活動を終えて十年の時が経った。  俺は運よく、カードゲーム『リーダー』を扱っている会社『サムライロード』へと入社することができた。  それはなぜか。 「運が悪いことに平野様は先ほど帰ってしまいましたよ。明日からは平野様が海外出張のようですね」  マスターはシェイカーを振りながら俺へと話をかける。 「ちょうど入れ違いになってしまったんですね。まあ、社長は一人の時を過ごしたいとお思いでしょうから逆に会わなくてよかったかもしれないです。俺と会うと仕事の話になりそうですし」 「寂しいですか?」 「もちろん。ただ、出張で疲れたから俺も一人で優雅な空間を味わいたいと思います」  シェイカーを振り終え、カクテルグラスに注ぐと俺の前に置いた。ステムを親指と人差し指で持ち、ゆっくりとアラスカを口に入れていく。口の中に広がる甘さ。薬草系・ハーブ系の香りが鼻を刺激する。懐かしい味にあの頃の記憶が蘇る。  初めてここに来た日。俺は隣にいる男性に対して、『リーダー』の魅力について語った。お酒に酔っていたからかつい気持ちが入ってしまい、資料のないプレゼンテーションのような状態になっていた。  話をしていた相手が『リーダー』を扱っている会社の社長だと全く知らずに。  後日、一次面接通過の連絡が来て、最終面接に臨むこととなった際に明かされた。面接で同じ顔を見たときは心臓が飛び出るかと思った。しかし、社長には好印象だったようで、あの時と同じように熱弁して欲しいと申し出をされた。  素面の状態で臨んだ最終面接。俺の中にあった『リーダー』への熱い思いを話したところ、無事内定をいただくこととなった。  そして、十年が経った今、俺は『リーダー』の海外展開のプロジェクトマネージャーを務めている。 「それにしても、おかえりが早かったですね。何かあったんですか?」 「実は海外展開に向けて新規参入者を募集していて、今面接をやっているんです。その最終面接の面接官を務めることになって、急遽戻ってきたんです」 「そうでしたか。では、また最終面接が終わったら、海外に戻られるのですか?」 「だと思います。まだまだ向こうでやらなければならないことはたくさんあるので」 「何だかまた寂しくなりますね」 「でも、今回みたいにまた戻ってくるときはあるので、その時はまた顔を出します」 「いつでもお待ちしておりますよ」  マスターと会話をしているとお客さんが一人入ってきた。マスターは彼の対応のため俺から離れていく。その間、俺は店の雰囲気を堪能することにした。  昔馴染みの懐かしい雰囲気は、就活時代の俺を思い出させてくれる。  神のイタズラとでも言うべき幸運の到来。しかし、その後の俺の人生は過酷だった。寝る間も惜しんで仕事に励んだ。わからないことばかりで上司に叱られる毎日。会社で出てくる用語が分からず、話についていくことができなかった。  落ち込んだ時はよくこのバーに来て、泣いたり、愚痴を言ったりしたものだ。その度にマスターが、時には社長が優しく話を聞いてくれた。それ故に俺は頑張ることができた。そして、今は社長の采配で重要なプロジェクトを任されている。  あの時、三次元ナビゲーションシステムが使えず、道を見失うことがなかったのならきっと今の俺はないだろう。たとえ普通に内定をもらえていたとしても、ここまで成長することができたかは微妙な話だ。  そういう意味では、道を見失ったことに感謝をしなければいけないな。  人生というのは本当に何が起こるか分からないものだ。不運だと思っていたことが最大の幸福だなんて。 「何か辛いことでもございましたか?」  一人の時間を楽しんでいると、ふとマスターの声が聞こえた。見ると彼は新しくきた男性に向けて語りかけていた。男性は思い悩んだ様子でひどく落ち込んでいるみたいだ。 「実は、今日面接だったのですが、電車が遅延して間に合わなかったんです。幸い、時間をずらしていただき、面接させてもらえたのですが、普段のように話すことができなかったんです。はあー、第一希望だったのに……ついていない」  男性の話を聞きながら、マスターは俺の方にちらりと目をやる。俺は何だか恥ずかしくなって、カクテルグラスを手にとり、視線を逸らす。 「それは残念でしたね。その会社はどう言った会社なのですか?」 「カードゲームの『リーダー』を扱っている会社です」  その単語を聞いて俺は思わず、耳を大きくした。何だか既視感のある光景だ。 「幼い時に『リーダー』をやっていたんです。ちょうどNFT式のデジタルアプリ版が出た時ですね。あの時やっていた快感が忘れられなくて、消費者側から製作者側に立ちたいと思ったんです。ただ、あの面接の感じでは受からないだろうなと思います。他にも優秀な人たちがたくさんいましたから。はあ……」  男性は深くため息をついた。  本当に懐かしい記憶だな。どうも『リーダー』をプレイしている人間はここにくるのが定番らしい。何だかおかしな決まりに思わず笑いが込み上げた。  社長はあの時、どんな気持ちで話を聞いていたのだろうか。   「ねえ、君」  俺はカクテルグラスをカウンターに置くと先ほどの男性に声をかける。  彼は恥ずかしそうにこちらを見ると、「ごめんなさい。うるさくしてしまい」と謝罪をした。一人の時間を犯したことを申し訳なく思っているらしい。優しい青年だ。 「そうじゃないんだ。『リーダー』についてもう少し詳しく聞きたいと思ってね」  胸ポケットからケースを取り出すと、名刺を彼へと見せる。 「株式会社サムライロードの仙道 進です。『リーダー』のプロジェクトマネージャー担当としてぜひ君の話を聞かせてくれないか?」
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