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朝練の前、勉強の合間――八月に入って、高良君との雑談が増えた。勉強していても、手とは別の目的で口が動く。
「高良君って、波の問題解くの早いよね」
「問題読めば、波が見える」
「それチート?」
「チートは、英文読むと答えが浮いて見える、橘さんの方」
高良君が面白がっている。
私は急速に、愛想と表情に乏しい彼の変化が分かるようになった。
「今日の授業より、橘さんの解説の方が良い」
「ホメても、その問題の答えは教えないよ?」
「残念だ」
ノートに釘付けだった視界に彼が映ることが増え、彼に名前を呼ばれると緊張よりも嬉しさが勝る。
時間と共に、小さな幸せが胸に降り積もる。フワフワした気分が、勉強の手を軽やかにした。
それだけで良かったのに。
教え合いが一段落して、自分で問題を解いている時のこと。
高良君が不意に、私の目の前に飲み物を置いた。
「これは?」
「協力への礼」
「え、でもそれはお互い様で」
「そこは気にしない」
高良君がくれたのは、私の大好きなカフェオレ。何故かこそばゆくなって、私は首を竦める。
「ありがとう。お返しは今度」
「ああ」
素っ気ない返事に滲むのは、明確な喜び。
私はハッと、自席でお茶を飲む高良君を見た。
「あの、何でこの商品?」
「橘さん、それ良く飲んでるだろ? 仲間の嗜好は把握してる」
私に向けられた、彼の黒目がちで大きな双眸が、僅かに細められる。
それが微笑だと分かった、その瞬間。
私は、彼の視線や声音に、密かな甘やかさを探す自分に気付いた。
それは、単なる憧れに留まらない、身勝手な想い。
彼は元々私の憧れだけど、高良君にとって私は勉強仲間だ。
大体、これは高良君が大会に行くまでの関係だ。今、私がやるべきなのは、彼との勉強への集中。
恋愛感情は邪魔なだけ。
距離感を、見誤ってはいけない。
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