恋衣

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「ごめんごめん、動きやすいと言ったらそれしかなくて。お母さんのパジャマ借りればよかったね・・・あーもう、お酒呑んで寝た日はもう次の日の朝、顔がパンパン」 「いろんなところが下がってくるし、いろんな線ができてくるからね」 「そうそう、ブライダルエステ予約したんだ!エステなんて人生初!」 「へー、いいなあ、感想聞かせてね」 荷物をまとめた明日海が立ち上がった。 「玄関まで送る。ありがとね。だいぶ形になった」 「またなんかあったら言ってね」 話しながら階段を下りる。台所から朝食の良い匂いがした。 「お母さん!明日海、もう出るよ」 「あらあら、朝ごはん食べていけばいいのに」 杏の母親がエプロンで手を拭きながら台所から出てきた。 「ううん、明日海、もう仕事行く時間だって」 「あら、じゃあ、これ持って行って!」 ヒュン、と冷蔵庫の方へ戻っていく。テーブルの方に目をやると、杏の弟がこちらに背を向けてテレビを見ていた。こちらを振り向くこともなく、テレビの方を見ているので、そんなに面白い番組でもやっているのかと思ったが、普通の朝の情報番組だった。 「これ、おにぎり。冷たくても美味しいから」 ラップに包まれた青菜と胡麻とワカメのおにぎりを3つ紙袋に入れて手渡された。 「ありがとうございます、いただきます!」 「仕事頑張ってね。お盆休みもないなんて大変ね」 「サービス業なんで。稼ぎ時です」 「それに比べて杏。あんたまだパジャマなの?」 「いいじゃん、せっかくの実家なんだし、もうすぐお嫁に行っちゃうんだよ?甘やかしてよ」 「はいはい。じゃあね、明日海ちゃん」 頭を下げて杏の実家を後にした。 「んんん!?おいしい!」 職場の休憩室で明日海が声を上げた。 定番のワカメおにぎりに具が足されたものかと思ったが、想像以上だった。ごま油が入っているのは分かったら、この塩味は鶏ガラか。よく見たら天かすもツナも入っている。 「杏のお母さん、すご・・・」 渡されたときは3つも?と思ったが、気が付いたら完食していた。 2か月後。 「明日海!」 駅の改札口で、杏がこちらに手を振っているのが分かった。手を振り返す明日海。 「結婚式、ありがとね。これ、新婚旅行のお土産ー!」 「ありがとー!杏すっごく綺麗だったよ。料理もおいしかった。これ、USB。プリントアウトするより、データのままが良いかなって」 「わあ、ありがとう!写真、たくさん撮ってくれてたよね」 「みんな本当に楽しそうだった」 「えー嬉しい!家でゆっくり見るね」 「ご飯どうする?」 「あ、私行きたいところあるんだ。こっちこっち!」 杏に手を引かれるままに、明日海は歩き出した。 「シュエット・・・ここだ!」 杏がスマホのナビを見ながら辿りついたのは、オフィス街から少し離れたところにあるビストロ。 フランス語で描かれた看板と、まるで海外の植物園に来た気分になる緑の組み合わせに胸が高鳴った。 「わあ、オシャレ」 「うっかりスニーカー履いてこなくてよかった。ワンピースにパンプスで正解」 そう言いながら杏が店のドアを開けた。 「いらっしゃいませ」 口元に髭を生やした40代後半くらいの男性が迎えてくれた。店長だろうか。 「予約してた紫吹です」 杏の結婚後の苗字だ。 「お待ちしてました。2名様ですね。カウンター希望で、お間違いないですか?」 「はい」 テーブル席は空いてるのに、と思いながら通された席に座った。 「なんでカウンター?」 「フフ、いたいた」 「ん?」 カウンターから見える厨房には若い男性スタッフがリズム良く野菜をカットしている後ろ姿があった。 「ねえねえ、店長。イケメンじゃない?」 「ん?」 さっきから杏の視線の方向に合わせてキョロキョロしてしまう。 「40代くらいかな?指輪してないよ」 そう、杏が明日海に耳打ちした。驚いて杏を見る明日海。 「あ」 一方、杏は厨房を見ていた。つられて厨房を見る明日海。 さっきの若い男性スタッフが驚いた顔でこちらを見ていた。見る見るうちに眉間に皺が寄っていく。 この人、どこかで・・・ 杏はその男性に向かって気まずそうに小さく手を振る。 「弟。働いてるところ見てみたくて」 「あ」 2か月前、杏の実家の台所で会ったことを思い出した。例のコント衣装を見られたことも。 しかめっ面のまま杏の弟が厨房からこちらに向かって歩いてくる。 目の前で立ち止まり、胸の前で何かジェスチャーのようなしぐさをした。 「ごめん。働いてるところ見てみたくて」 杏は手を動かしながら話していた。そして明日海を見る。 「明日海。蓮、覚えてる?」 蓮、と呼ばれた杏の弟を見る。確かにこの顔を覚えている。蓮は気まずそうに頭を下げた。慌てて明日海も頭を下げる。 「急に来たから、怒ってる」 杏が肩をすくめて呟いた。
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