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『蓮が父親になるなんて聞いていない、愛する女性を紹介してくれないなんて冷たいにもほどがある、妻とベビーもまとめて面倒見てやるから連れてこい、だもんな。ファミリーが別々に暮らすなんてとんでもない話だ、ってな』
『・・・ありがたい話です』
『吉良さん、仕事は?』
『今はデスクワーク中心に』
『子供も順調か?』
『おかげさまで』
『戻ってきたら、お前はスーリールのシェフだ。ここの比じゃないくらい忙しいぞ。今まで以上に気合・・・は、入ってるな』
『はい』
力強く頷き、調理にとりかかる蓮に、茉優が静かに微笑んだ。
半年後。
いつものカフェで栞がコーヒーを飲んでいると、カラン、と音を立て扉が開いた。
「明日海、こっち」
ワンピースに身を包んだ明日海が栞に向かって手を振った。
「お腹、目立ってきたね」
「うん、ちょっと動くの大変になってきた」
「え、大丈夫なの?ここまで来てもらっちゃって」
「うん、動いた方が良いって言われてるし。検診もちゃんと行ってるし」
「・・・不思議。命が、そこにいるんだね」
「・・・うん」
水の入ったグラスを運んできた店員に、レモンティーをオーダーする明日海。
「旦那は今日も仕事?」
「うん。お店、だいぶ忙しいみたい」
「そりゃ、あれだけSNSとか雑誌で取り上げられたらね・・・。テレビの取材も入ったんだって?映ってなかったけど」
「全力で、逃げたみたい」
なにそれ、とフフフと笑う栞。
「体調は?つわりとかもう平気なの?」
「うん、軽い方だって言われた。最初の方は水飲んでも吐いちゃって、どんどん痩せて心配かけちゃったんだけど、今はもう落ち着いてる。太らないように気を付けてるくらい」
「そりゃ、あんな旦那がいたらどんどん食べちゃうよね・・・」
「気持ち悪いときも食べられそうなものとか、いろいろ考えて作ってくれたの。ホント助かった」
「・・・」
「ん?どうしたの?」
「明日海、さっきからずっと笑ってる。〝幸せです〟って顔に書いてある」
「・・・ええ?」
「・・・私、ずっとあんたのそんな顔が見たかったの」
「・・・ありがと」
「仕事、辞めるんだって?」
「うん、さすがに育休合わせても3年は休めないし」
「後悔してない?」
「うん、優秀な後輩たちに恵まれてるし」
「そうじゃなくて、明日海自身が。頑張ってトレーナーになったのに、このまま行けばもっと昇進できたと思うよ?」
口に運んだカップを、ゆっくりと降ろした。
「そこは、蓮君もすごく心配してくれた。何度もごめん、って謝ってくれた。謝ってもらうことなんて何もないのに」
「・・・」
「私ね・・・」
「うん?」
「芳樹と別れた時、もう恋なんてすることないって思ってた。両親が亡くなった時、こんなに辛くて悲しくて苦しいなら、もう家族なんていらないって思ってた」
「・・・」
指輪が光る左手をキュッと結んだ。
「私、大好きな人と、家族になれた。これ以上の幸せ、私には考えられない。私、これからも、ずっとずっと、蓮君に恋してる」
「・・・」
「・・・なんてね。そろそろ、世代交代ってやつだなーと思ってたところ。アパレルなんてどんどん若い世代の感性が大事になってくるし、潮時だったと思う」
夜、栞はシュエットの扉を開けた。中から結城が迎えてくれる。
「こんばんは!お久しぶりです、いらっしゃいませ」
「・・・1人なんですけど、カウンター空いてます?」
「ちょうど先ほど、空いたところです。どうぞ」
栞に気づいた蓮が、厨房から会釈をした。頷くように返す栞。
会計を終えた栞が、結城に断って蓮を外に呼び出した。紙袋を蓮に渡す。
「これ。昼間明日海に会ったんだけど、ちょっと重いから妊婦に持たせるのはどうかと思って」
『・・・ありがとうございます』
「基礎化粧品なんだ。私の姉がさ、子供が2人いるんだけど、言われたんだ。妊娠するとみんな子供服や子供のおもちゃとか、そればっかり送ってきてくれて、もちろん嬉しいんだけど、先輩ママでもあった親友が〝自分を大切にして〟って意味で、美容液くれたんだって。それがすごく嬉しかったって。私も、明日海に自分を大切にして欲しいから、選んだ」
静かに微笑む蓮。
「明日海を見てるとさ、なんだか無性に恋がしたくなる。明るい色の服を着て、揺れるスカートを穿いて、新しい靴を履きたくなる。好きな人の前で、笑いたくなる。明日海を見てると、ああ私も女なんだなって思う。明日海といると、自分の中の女が目覚める感じがする。だから、蓮君がうらやましい。蓮君がいる明日海がうらやましい」
「・・・」
「蓮君さ、恋愛ドラマとか少女漫画読んだことある?杏にすすめられたりした?」
頷く蓮。
「ああいう話ってさ、たいてい主人公に、親友的ポジションの存在がいるのよ。いつだって、主人公が辛いときや悲しいときはかけつけて、まぁ現実は仕事があったりしてなかなか難しいけど、なんか迷ってたら助言して、間違った方向進もうとしたら叱って、願いが叶ったら自分のことのように喜んで。私は、明日海のそういう存在でありたいと思うの。これからも、ずっと」
「・・・ナカジマ、みたいな?」
「・・・え?ナカジ、誰?」
「・・・サザエさんの・・・」
「はぁ!?何よ、あんた私のことカツオって言いたいわけ!?」
振り上げたこぶしに、思わず蓮が紙袋でガードする。
「・・・私、絶対あなたの中で暴力キャラよね」
怯える蓮の姿に、悔しそうにつぶやき、栞はその場を後にした。
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