恋衣

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 胸が焦がれるのではない。 彼と同じ名前の花を見ると、自分が常にその状態であることに気づくのだ。  思い出すのではない。頭に浮かぶのでもない。常に、もう常にだ。彼が胸の中にいることが日常になってしまっていた。  8月。  明日海は友人の杏と共に、杏の実家を訪れていた。 「ちょっと待って、この食パン齧ってるのって私?」 「そうだよ、明日海。たぶん、その瞬間を狙ったんだろうね」 「うわ、全然記憶ない。でも、確かにこの頃、常になにか食べてた」 「面白いからこれもキープしておこうよ」 「面白さを求められても・・・」  明日海は膝をかかえてフフ、と笑った。そして、目の前にある段ボールの中の2冊目のアルバムを手に取る。 「結婚式、深ちゃんも来るんだよね?なら深ちゃんも写ってる写真探さないとね」 「ごめんね、私こういうの未だに1人じゃ決められなくて」 「ううん、おめでたいことだもん。むしろ光栄だよ。一生に残る思い出になるようにしなきゃね」 来月に控えた杏の結婚式のスライドショーに使用する写真を一緒に選んでほしい、と杏に頼まれ、数年ぶりに訪れたここは懐かしい匂いがして、何度もこの部屋で十代ならではの女子トークを繰り広げたことを思い出す。杏が大学に入るまで生活していたこの部屋は、未だに学習机が置いてあった。 「写真もだけど、落ち着いたら、いや、忙しくなる前に全部処分しなきゃな。いつまでもここに置いておけないし、新居にも持っていけないし」 そうだね、と言いかけて、やめた。隣の部屋で重いものをトン、と置いたような音が聞こえた。 「あ、ごめん、ご家族の方だよね?うるさかったかな?」 「あ、大丈夫。多分、弟」 「え、弟?・・・あ、そうか、いたよね」 「うん、お盆だからね、帰ってきてるんだ」 「部屋、隣なんだね」 「うん。それよりさ、深ちゃんの写真。深ちゃん、美人なのにあんまり写真好きじゃなかったもんね」 「でも、もう夜だし」 「ううん、ほんと、気にしないで。あ、あった!深ちゃんの写真」 「わ、懐かしい!深ちゃん、髪の毛短かったねえ」 「よし、これもキープ!」 「後で深ちゃんに確認してもらおう。そういえば、BGMは決まった?」 「もちろん。全部GLAYって決めてる」 「好きだったもんね」 「ねえ、明日海、今日泊っていきなよ。稲荷屋覚えてる?あそこ、店主が息子さんに代わって、またお店始めたんだよ!」 「え、あのラーメン屋さん?懐かしい!みんなでよく寄ったよね」 「お母さんには夕飯いらないって言ってくる。久しぶりに行こう!お酒も呑んじゃおう!」 「はあ~、ラーメンに餃子にビール、杏仁豆腐。さすがに30過ぎるとおなかいっぱいだわ・・・」 風呂上りの杏がベッドに大の字に寝転がる。 「高校生の頃は確かあれに炒飯シェアしたよね」 「したした。体重も今より5,6キロあったよね。アオハルってやつですね。あ、その辺のクリームとか、適当に使って」 「ありがとう」 「どんな感じなんだろう、苗字が変わるとか、子供ができて家族が増えるとか・・・」 杏は今にも眠ってしまいそうな声で呟いた。 そんな杏を見て微笑みながら、明日海は杏のスキンケア用品を借りる。 「結婚かあ・・・」 すでに後ろから聞こえる杏の寝息を聴きながら、明日海は顔のスキンケアを続けた。 夜中にドアの閉まる音にふと目が覚める。ビールはジョッキで3杯ほど吞んだのでトイレに行っておいたほうが良い気がした。そっと部屋を出て1階のトイレに向かった。場所は記憶している。 ふと台所にぼんやりとした灯りがついているのに気付いた。人の気配がするので昼間挨拶した杏の両親か、それとも・・・ トイレを借りる旨を一声、と思い覗き込むと、20代半ばくらいの男性がコップに入った水を飲んでいた。こちらに気づき、目を見開いたように驚いているのが分かった。 目元が杏に似ている。茶髪で白のTシャツに黒いスウェット。杏に似たアーモンド型の目。杏の弟だ、と思った。 「あの、トイレ、借ります、ね」 トイレの方向を指さし、軽く頭を下げる。向こうも軽く頷くように頭を下げた。と同時に、少し笑った気がする。その様子を少し疑問に思いながら、トイレに入った瞬間気づいた。今、自分は杏の高校生時代の体操着を着ている。ご丁寧に胸のゼッケンに杏の苗字である「羽柴」と大きくプリントされている。こんなもの、よくとっておいたものだ。もうすぐ34歳になる自分が着るとまるでコントである。これを見て笑われたのか、と明日海は頭を抱えた。 翌朝。 ケラケラ笑う杏に、明日海は口をへの字にしながら着替える。 「会ったの?弟に?」 「もうバッチリ見られたよ。貸してもらってなんだけどさ、まるでコントの衣装じゃん!」 「せめてコスプレだよ」 「誰も見たくないよ」
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