壊れかけたラジオ

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 私は自由だった。エンジンをかけてアクセルを踏む。仕事に忙殺されていても、自主的な行動規制によって遊びに行けなくても、遠く離れている恋人や友人に会えなくても、自由は私の手の中にある。  自宅とは真逆の方向へ、国道をさらに先に進んでいく。対向車のライトが、落ち続ける雨粒の輪郭を描く。アスファルトの水たまりを跳ねるタイヤの音が、私にいっそう疾走感を与えた。  深夜になっても私は運転をし続け、県境を越えた。途中でコンビニに寄るのは気分転換のためではなく、生理的欲求のためだった。時間が過ぎていくほど走行車が減っていく。通勤時間帯には渋滞するであろう二車線の幹線道路を我が物顔で運転できる爽快感。途中で山道に入ると、更に雨が強くなり、ワイパーが追いつかないほどになった。 『深夜に頑張るみなさん、こんばんは』  ジャズ風の音楽と落ち着いた声が、強い雨音に混じって聞こえてきた。デジタル時計は午前二時を示している。  初めて聴くラジオの男性DJのしっとりとした声は、深夜に頑張るリスナーをますます世間から遮断された空間に引き込むようだった。私は運転をしながらマスクの中で欠伸をする。自分一人しかいない空間でマスクをする必要はないのかもしれないが、二年以上装着し続けた結果、マスクは化粧のような必需品となってしまっている。どんなに暑苦しくても、どんなに息苦しくても。 『ただいま雨が強く降っている地域もあるみたいですね。運転している方はお気を付けて』  夜の山道とはいえ国道のせいか時折トラックとすれ違い、そのたびに視界はヘッドライトによって白くなった。雨よ、降れ。もっともっと、現実を遮ってしまえるまで降り続けてしまえ。私はハンドルを握りながら、カーテンを描くような雨景色の向こうへと走る。  やがて国道は街中へと入り、再び片道二車線になった。どこにでもあるディーラーや家電用品店の暗い看板を眺めていると、ふいに大きなクラクション音が鳴り響いた。視線よりも高いライトが私を照らす。すぐ前の前を大きなトラックが通り過ぎ、またしても私は信号無視をしようとしていた事に気付いた。  血管が血を巡らせることを思い出したかのように、心臓が脈動を鳴らしている。右足でブレーキを踏んだまま動揺を覚えている私をよそに、青信号側のトラックは水しぶきをあげながら交差道路を走っていった。  片道二車線の幹線道路の上で、私はたった一人取り残された。濡れ続けるフロントガラスをワイパーが規則正しく拭き続けている。気付けば百三十キロ以上の道のりを走っていた。  自由を求めているのに、クラクションに怯えるなんて変だ。私は呼吸を整え、すぐ近くのコンビニに車を停めた。店内の明かりがひどく眩しい。  重たい瞼を閉じると、ジャズのピアノの音色にノイズが混じっていく。  ――かつ丼はうまかったか?  これは最後に見た恋人からのメッセージだった。  ルーフを叩く雨音に混じって、さまざまな声が聞こえ始める。友人の子供自慢、職場での顧客の文句、上司の怒号に同僚の愚痴、見知らぬ人々の世間への怒りや嘆き。遠い昔の高校時代の教室内のざわめき、しばらく会っていない両親との会話。夢うつつに浸っていく私の鼓膜は、まるで壊れたラジオのように周波数を狂わせていく。  ――死ぬ前に何を食べたい?  ――私はかつ丼を食べたいな
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