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「松谷君?」
「あ、すみません、何ですか」
「今日、同行して欲しいんだが、構わないだろうか」
構わないも何も、上司なのだから命じればいいのに。
「はい、分かりました。配送終えてからで大丈夫ですか?」
「ああ、昼からがいい」
今日の予定を組みなおす事になるけれど、初めて里見に同行する事に、松谷のテンションはまた上がり始めていた。
昼までに予定通りの配送を済ませ、ついでにドーナツ屋には顔だけ見せてきた。若い店員の手ごたえはいいのだが、店主の父親がなかなか陥落しない。気長にいくか。
考えながら、社内にいるはずの里見を探す途中、総務部長の村上に呼び止められる。村上はこの前まで松谷の上司だったし、里見と違って話やすい男だ。
「お疲れさん、里見が探してたぞ。今日、芝浦蒲鉾行くんだろ? 社長がさ、あのトレー凄く気に入ってるから、大口取ってこいよ」
村上の言っている事から察するに、里見と同行する昼からの営業先が芝浦蒲鉾で、社長オススメのトレーを売り込む、という事だろうか。里見からは何一つ聞いていないのだが。
「ああ、そういう事なんですね」
「聞いてなかったか? ま、お前は勘がいいからな、里見はいいやつだけど、ちょっと融通きかないとこあるから、頼むな」
上司の事を頼まれる部下というのは珍しいじゃないだろうか。そんな事を簡単に言えるのが、村上という男でもある。松谷はそんな村上を嫌いではなかった。
「里見、自販機のとこにいたぞ」
会釈して村上に言われた通り、自動販売機の前で里見を見つけた。いつもの笑顔一つない表情だが、それ以上に硬い気がする。
「里見課長」
「ああ、松谷君、休憩を取りながら仕事の話をしたいのだが」
「あ、芝浦蒲鉾なんですね。社長が押してるトレーって」
「何故知っている?」
「さっき村上部長が」
むらかみ、と小さく呟いた里見はさっきまでの固い顔を少しだけ崩すと、口の端を持ち上げた。笑っているのだと気付くには少しかかった。
「村上部長と仲いいですね」
「まあ、同期だからな。それより、仕事の話だ」
村上の事を口にした時だけ、ちょっと嬉しそうだったのは何だろう? 気のせいだとは思えない、なんだこれは、と妙にもやもやするものを感じながら、けれどそこからは仕事の話になった。
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