音痴な上司の攻略法

12/37
前へ
/37ページ
次へ
「松谷君?」 「あ、すみません、何ですか」 「今日、同行して欲しいんだが、構わないだろうか」  構わないも何も、上司なのだから命じればいいのに。 「はい、分かりました。配送終えてからで大丈夫ですか?」 「ああ、昼からがいい」  今日の予定を組みなおす事になるけれど、初めて里見に同行する事に、松谷のテンションはまた上がり始めていた。  昼までに予定通りの配送を済ませ、ついでにドーナツ屋には顔だけ見せてきた。若い店員の手ごたえはいいのだが、店主の父親がなかなか陥落しない。気長にいくか。  考えながら、社内にいるはずの里見を探す途中、総務部長の村上に呼び止められる。村上はこの前まで松谷の上司だったし、里見と違って話やすい男だ。 「お疲れさん、里見が探してたぞ。今日、芝浦蒲鉾行くんだろ? 社長がさ、あのトレー凄く気に入ってるから、大口取ってこいよ」  村上の言っている事から察するに、里見と同行する昼からの営業先が芝浦蒲鉾で、社長オススメのトレーを売り込む、という事だろうか。里見からは何一つ聞いていないのだが。 「ああ、そういう事なんですね」 「聞いてなかったか? ま、お前は勘がいいからな、里見はいいやつだけど、ちょっと融通きかないとこあるから、頼むな」  上司の事を頼まれる部下というのは珍しいじゃないだろうか。そんな事を簡単に言えるのが、村上という男でもある。松谷はそんな村上を嫌いではなかった。 「里見、自販機のとこにいたぞ」  会釈して村上に言われた通り、自動販売機の前で里見を見つけた。いつもの笑顔一つない表情だが、それ以上に硬い気がする。 「里見課長」 「ああ、松谷君、休憩を取りながら仕事の話をしたいのだが」 「あ、芝浦蒲鉾なんですね。社長が押してるトレーって」 「何故知っている?」 「さっき村上部長が」  むらかみ、と小さく呟いた里見はさっきまでの固い顔を少しだけ崩すと、口の端を持ち上げた。笑っているのだと気付くには少しかかった。 「村上部長と仲いいですね」 「まあ、同期だからな。それより、仕事の話だ」  村上の事を口にした時だけ、ちょっと嬉しそうだったのは何だろう? 気のせいだとは思えない、なんだこれは、と妙にもやもやするものを感じながら、けれどそこからは仕事の話になった。
/37ページ

最初のコメントを投稿しよう!

48人が本棚に入れています
本棚に追加