音痴な上司の攻略法

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 そんなことより。  さっきの村上の声を思い出す。  壮也、と呼ばなかったか?  壮也は里見の名だ。  普段、村上が里見を名で呼んでいるのを聞いた事などない。松谷に聞かれた事を、里見もあせっているようだった。  仲がいいのは知っている。同期入社という事は、十年以上の付き合いなのだろう。友人というくくりになるなら、名前で呼ぶくらい普通だ。きっと、普通だ。  それなのに、妙に苛だってしまう。  ――普段は、名前で呼んでるんだ?  もしかしたら、二人の時は名前なのだろうか。  ぐるぐると頭を巡る想像は、もはや妄想の域に近かった。でも時間だけはたっぷりあるから、どうしても思考がそこから逃れられない。  ビールを注文して、飲みつぶしているところで、里見が来た。走ってきたのか、肩で息をしている。もう十一月末だというのに、綺麗な額に汗が浮かんでいて、いつもきっちり分けられている七三が乱れているのがたまらない。余程、急いで来たのだろう。 「すまない、待たせた」  ソファに腰を下ろしてネクタイを緩める指先が、やけに白く見える。ひとり、どきりとしながら、松谷は笑って首を振った。 「飲んでたから、大丈夫ですよ」 「本当にすまない。社を出るところで、芝浦蒲鉾からトレーの発注が来て」 「芝浦から!? 間伐トレーですか?」 「そうだ」  これは社長が大喜びだろう。里見の大手柄だ。 「凄いじゃないですか! おめでとうございます」 「まだ、これからだろう」  冷静に言い放った里見は、けれど、少し嬉しそうだった。笑わない男、それは確かだけれど、決して無表情ではないのはもう分かっている。良く見ていると、細やかに表情は現れる。きっと誰にでもは分からない。  ――俺、だけだったらいいのに。  思った瞬間だった。 「村上もだが、君もおおげさだな」  嬉そうに、柔らかに、里見はその名を呼ぶ。 『壮也』  聞きなれない名前で里見を呼ぶ村上。  自分の知らない、二人の世界。  そんな事は当たり前なのに、どうした事だろう、急激に苛立った。ビールのアルコールが回ってきたのかもしれない。
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