音痴な上司の攻略法

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◇   柔らかい唇は温かかった。もし、あのまま内を暴けば、唇よりも高い熱に触れられたのだろうか。  ――いや違う。違う違う、何を考えてるんだ俺は。  目に見えないものに突き動かされるように里見にキスをしてしまった夜から、どうにも里見の事が気になって気になって仕方がない。あの時は酔っていたから、と里見にもした言い訳を並べてみるが、それもしっくりこない。  当の里見は、まるで何もなかったように、いつも通りなのも松谷を乱した。  ――俺一人でテンパってる。  こんな情けない自分は知らない。なんとか落ち着こうと平静を装ってみたが、週末のカラオケ教室は里見の都合でキャンセルされた。その時の電話がそっけなくて、ますます松谷を混乱させる。  もしかして、いつも通りなんてわけなくて、怒っているのだろうか。そういえば、あれから会社で目が合わなくなった気もする。   週が明けても、里見は何も言わなかった。  目が合わなくなった事を気にしすぎて、松谷の方がやけに里見を見てしまい、さすがに気付いたのか目が合う事もあったが、そのつど大げさなほどに目を逸らされた。  これは、完全に怒らせているのかもしれない。もともと、大きな声で怒鳴るような人じゃない。あの平静の下で、怒りを燃やしているのだろうか。  もんもんとした気分のままで午前中の配送を済ませたが、どうしても気になって仕方がない。  こんな事じゃ駄目だ。仕事しないと。  気を取り直して、午後からの営業に向かう。  テイクアウトの店を数件回って、使い捨て容器に印刷できる事を話終えた時だった。会社からの電話が鳴る。パンフレットを残して店を出ると、ようやく通話ボタンを押すと、事務員が慌てたように松谷を呼んだ。 『松谷さん、井上商店の配送行きました?』  総菜屋をしている井上商店には、午前中に注文された小トレーを持って行った。老夫婦でやっている店だが、今日の受け取りは婦人の方だったな、などと暢気に考えながら相槌をうつ。 『あの、誤配送みたです。サイズが違うって娘さんから電話があって』 「サイズが違う?」  まさか。井上商店にはいつも小トレーを配送する。今日もそうだったし、間違いようがないと思うが。 「小トレーだろ?」 『やっぱり。忘れたんですか? 今回はサイズが変わるって、昨日も一応言ったはずですけど』  事務員の苛立つ声に、松谷もようやく気がついた。そういえば、昨日言われたのだった。確かに聞いた覚えはある。差し替えの伝票も預かって、差し替えようと思ったところまでは記憶にあるが、その後どうしたのだったか。  ――そうだ、あの時確か村上部長が里見課長と一緒にいて。  つい、そちらに気がそれてしまったのだ。
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