音痴な上司の攻略法

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「すみません、すぐ取りに帰ります」 『それが、どうしても急ぎらしくて、こちらから人を出しました』  最悪だ。自分のミスで誰かに迷惑をかけている。 「すみません、今近くにいるので謝罪に行きます。それで、誰が出てくれたんですか?」  車に乗り込んでシートベルトを締める松谷の耳に、言いにくそうに事務員は呟いた。 『里見課長です』  よりによって。思わず天を仰いで空を眺めたい気分だったが、そうもいくまい。今すべき事をしないと。事務員との電話を切って、井上商店に向かう。その間、里見にどう謝ればいいかばかり考えていた。  まるではかったように、里見の乗ったバンが井上商店に着くのと、松谷が着くのが同じだった事は心底ありがたかった。 「課長!」  商品をバンから下ろす里見に声をかけると、驚いたような顔で松谷を見つめてくる。  ――あー柔らかそうな口唇。いや、そんな事考えてる場合じゃないって。 「すみません、俺のミスで」 「急いで届けよう」  ワンロット、それなりの量になるのを里見は抱えあげる。 「あ、すみません、ちょっとだけ下さい」  里見の抱えている中から一包み取り出すと、松谷は裏口から厨房へ走った。 「井上さん、すみません、サイズが違っていたようで、本当に申しわけありません」  厨房には、老夫婦と娘が忙しそうにしているところだった。振り返った娘が、腹立たしげに吐き出す。 「本当よ、今日は十周年セールだから、サービスでサイズ変えてるの。もう在庫がつきるから、早くおろして」 「はい、こちらで間違いないですか」  確認した娘が、頷いて、表の客に呼ばれたのか走っていく。いつもは老夫婦でやっている店だ。時折娘が手伝いに来ているのは知っているが、今日は客が多いと見込んで手伝いに来たのだろう。  それにしても忙しそうだ。  その原因の一端が自分にあると思うと、たまらなくなる。  ちょうど、残りのトレーを抱えて里見が入ってきたのを確かめて、早口で切り出した。 「お手伝いします。これでもレジは打てるので」  ジャケットを脱いでシャツの袖をめくると、奥さんが驚いたように手を振った。 「いえいえ、そんな事」  しかし、見るからに、作る方が間に合っていない。今レジを打っている娘さんだって、本当は作る方にまわりたいのだろう、何度も厨房の様子を気にしている。 「僕のミスなので、させてください」  店主に頭を下げると、無口な店主はじろと松谷を見つめてから、小さく頷いた。
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