音痴な上司の攻略法

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 驚く娘さんに事情を説明して、レジカウンターに立つと、忙しさに目が回りそうだった。 そもそも慣れていない事に加え、珍しく若い男がレジに立っているのは、年配女性ばかりのこの店では興味深い事らしい。 「あら、新しい人?」 「臨時の手伝いですがよろしくお願いします」  レジを打って商品を袋に入れるだけだとたかをくくっていたが、そう単純でもない。話相手をしながら、商品について聞かれると、もうお手上げだ。 「この人参って、国産?」  ――しらねーし!  厨房の奥さんに聞こうと身を乗りだした時だった。 「当店の野菜は全て国産ですよ」  聞きなれた声が松谷の耳を揺らした。スーツのジャケットを脱ぎながら、松谷の隣、狭いレジカウンターに、にこりともしない里見が入って来たのだ。 「里見課長」 「君だけにさせる訳にはいかないだろう。手伝う」  明らかに接客に向いていないだろう里見は、それでも懸命に柔らかい表情を作ろうとしているようだった。レジを打って袋に入れて渡す。その単純に見えて大変な仕事を終えた時には、へとへとだった。 「ありがとうございました、助かりました」  店主が珍しく笑顔を見せてくれたから、その疲れは半減したのだけれど。  井上商店を後にした時にはもう、外は真っ暗だった。本格的な冬を予感させる冷たい風に身を震わせると、里見も同じように肩をすくめたところだった。  本当は、かっこよくコートとか貸せたらいいんだけど。
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