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「国王陛下への書状? えぇと……。『サンドール子爵ガエル・ヴェルレーヌは、長男リオンに爵位を譲渡する』!?」
「うむ……」
「いや、『うむ』じゃないですよ。無理ですよ。父上まだ生きてるのに」
「分かっているとも。実際に陛下に提出するわけではない。それくらいの覚悟だということだ」
「父上……」
子爵は瘦せ細った両手がまだそこにあるのを確認するように軽く指を握ったり開いたりした。リオンの母親が健在だった頃の、鹿や兎を狩りに行って元気に笑っていたあの姿は今はもう見る影もない。
体力がすっかり落ちてしまったこと以外はどこも悪くないのだと医者は言う。あの医者もその医者も、風邪や病気ではないから薬を飲んだり入院したりする必要はないのだと言う。しかし、いつになっても子爵に元気は戻らない。子爵が痛めてしまったのは、体ではなく心。傷付き、疲弊し、壊れてしまった心を元に戻すのは困難を極める。ただ寄り添うことしかできない自分のことがリオンは非常にもどかしかった。
書状を持つリオンの手に子爵は自分の手を重ねる。
「私はもう戻れない……。オマエには私の名代ではなく、自分自身が子爵なのだと思って動いてほしい。これまでもよく頑張ってくれた。オマエには苦労をかけるね。ありがとう。そして、すまない」
「父上、顔を上げてください」
「オマエは伝令役ではない。自分で、思った通りに動いてほしい。もちろん、悩んだら相談してくれて構わない。でも……。でもな……。いつオマエが正式に爵位を継いだとしても、ちゃんと動けるように……。今からもう、子爵として過ごしてほしい……。私は……」
子爵の細い指が、家事で荒れているリオンの指に絡む。
「私は、いつ、粉々に砕けてしまうか分からないから……。今のうちに、オマエに託せることは託しておく」
「父上、私は……。私はまだ貴方に教わらないといけないことが」
「……エルヴィールとオマエと、立て続けに話をして疲れてしまった……。……もう、休ませてくれ、リオン。大丈夫、今日はちゃんと食事を摂る元気はあるから……。ただ、少し、休ませてほしい……」
「わ、分かりました。あの、後でもう少し詳しく話をしてもいいですか」
子爵はリオンの問いかけには答えずに布団にくるまってしまった。やがて、小さく寝息が聞こえて来る。
「……お休みなさい、父上」
書状を手にリオンが部屋から出ると、アンブロワーズが廊下の壁に凭れて待ち構えていた。
「聞いていたのか」
「子爵も大変ですね。彼をあんな風にした継母達、あいつらの足の一本や二本俺が削ぎ落としてやりましょうか」
「駄目だよ」
「リオンは優しすぎるんじゃないですか」
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