Verre-2 赤き狼の宿

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 両肩に誰かの手が置かれた。リオンは横目に見遣るが、暗闇では相手の顔が分からない。くんくんと匂いを嗅いでいたらしい何者かが舌なめずりをする音が聞こえる。耳元から首筋にかけて、吐息がかかる。 「人間の匂い……。美味そう……」  そして、噛まれた。確かな歯の感触。 「ぁう、わっ、ひぃっ……! ひゃぁっ……!?」  情けない悲鳴を上げてリオンはもがくが、背後から掴みかかっている何者かを振り解くことはできない。下手に動けば噛み付かれた右耳を食い千切られそうで、あまり抵抗ができなかった。 「リ、リオン! どうしたの! 大丈夫!?」 「い、痛い! 痛い痛い!」 「リオン! は、入るわよ!」  反対側の壁伝いに進んだシャルロットがカーテンらしき布を引っ張った。部屋を覆っていた暗闇が消え、明るくなる。  姿が露わになったのは一人のドミノだった。三角形の耳に、ふさふさの尻尾。身形はお世辞にも上品とは言えず、庶民の中でも貧乏そうな装いである。年齢は三十代くらい。何でも引き裂いてしまいそうな爪はリオンのジャケットをしっかりと掴み、何でも噛み千切ってしまいそうな鋭い牙がリオンの右耳に食い込もうとしている。  半泣き状態になっているリオンを見て、シャルロットは危険を顧みずに駆け寄った。勇気を振り絞って、ドミノの尻尾を引っ張る。 「うわっ、何しやがる!」  口が離れた隙に、リオンは身を翻してシャルロットの手を引き、ドミノから距離を取った。手を取って引き寄せたところまでは格好良く決まったのだが、足を止めた途端に力が抜けてその場にへたり込んでしまった。冷や汗と共に、涙が数粒零れた。  食い殺される。自分も、シャルロットも。これほどまでの命の危機を感じたのはいつ振りだろうか。幼い頃に誘拐されかけたことがあっただろうか、熊や狼に追い回されたことがあっただろうか。何が実際に起こったことだったのか思い出せないくらい、リオンは今自分に襲い掛かる恐怖に全身を脅かされていた。体の震えが、収まらない。  シャルロットはリオンに寄り添いながら、ドミノを睨み付ける。 「貴方、彼を食べようとしたの」 「まさか、本当に食べると思ったのか」 「だって血が滲んでる。こんなに怖がって、こんなに痛がってる」 「本当に食べるんだったらもっとがっつり行ってるさ。それに俺が人間を食うわけないだろ。俺……俺達だってほとんど人間と同じだぜ? まあ腹は減ってるんだけど、ちょっと驚かしてやっただけだ。そんな怖い顔するんじゃないよ。かわいい顔が台無しだ、お嬢さん」
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