Verre-2 赤き狼の宿

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 異国のことわざを例に挙げる。その場に留まるためには、一生懸命に走り続けなければならない。細かな言い回しは時代や場所によって変わっているが、レヴオルロージュに伝わっているのはこの形だ。時間はどんどん進んで行く。同じ場所に立ち続けたいのであれば、時間に置いて行かれないように走らなくてはならない。すなわち、現状を維持するためには常に前進する必要がある。転じて、今の自分の状態よりも先へ進むためにはたくさんの努力をし続けなければならない、という意味で使われている。走り続けて進んだ先には相応の成果が得られるであろうと、誰かの背中を押したり自分を鼓舞したりする際に使われる言葉である。  シャルロットは真っ直ぐにリオンを見据えた。紫色の瞳がランプの明かりをちらちらと揺らしている。その光が、炎が、彼女の強い意志を鮮やかに装飾する。  圧倒される。そして、美しい。リオンは思わず見惚れ、息を呑んだ。 「諦めないのなら進み続ける覚悟を決めなさい、リオン・ヴェルレーヌ」 「はい」  それ以外の返答を許さない目をしていた。しかし、リオンは強制されたわけではない。握り返した手は、自分の意思で動かしたもの。 「はい、シャルロット・サブリエ殿下。貴女と並び立つためのガラスの靴を、必ずこの足に」 「えぇ、共に進みましょう。わたくしの素敵なガラスの君」  名残惜しそうに手を離して、シャルロットは紅茶を一口飲んだ。次にその顔に浮かんだのは凛々しい王女の顔ではなく、無邪気な少女の顔である。 「でも、たまには弱音を吐いたっていいのよ。わたくしが何度だって聞いてあげるし、何度だって背中を押してあげるから。ちょっぴり気弱になっちゃう貴方もわたくし好きよ」  どんな貴方だって貴方だもの。そう言って、シャルロットはカップをテーブルに置いた。  何か動作をするべきなのか、何を言えばいいのか、リオンは迷って、結局照れ笑いを浮かべる。視界の端でアンブロワーズが「かわいい!」と歓喜しているのを捉えながら、シャルロットに向き合う。 「こうして貴女と再会できて、本当に、本当によかったです。あの頃の小さな貴女も、今の貴女も、可憐で、愛らしくて、私の大切な宝物です」  少し格好を付けすぎただろうか。リオンが自分の発言に照れ出したところで、シャルロットが席を立った。距離を詰めて、座っているリオンに抱き付く。 「シャッ、シャルロット……!?」 「駄目、離さないで。わたくしが『いい』というまでこのままでいて」  赤くなっている顔を見られないように、シャルロットはリオンのことを抱き締める。互いが照れ合う初々しさを抱きながら、夜は更けて行く。
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