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「ねえ、ちょっとだけつき合わない?」
さっきお酒を飲まないと言った池脇颯天に問いかけると、『じゃあ、一杯だけね』と答えるから、おばちゃんに小グラスに二杯の焼酎を注文した。
すぐに運ばれてきて二人でグラスを当てると、少しずつ口へ含む。
美味しくなさそうに眉をひそめながらも、何も言わずに俺につき合ってくれている。
そういう優しさが、すごく嬉しかった。
「じゃあ、お疲れさま」
「うん、今日はつき合ってくれてありがとう」
「僕だって、飲めないわけじゃないってわかっただろ?」
「そうだね。まあ、また機会があったらつき合ってよ」
「あーっと、考えとく」
「やっぱり苦手?」
「得意じゃない……」
「だね。じゃあ、俺が飲みたくなったら話し相手になるっていうのは?」
「それなら問題ない」
「良かった。じゃあ、またここに来てもいい?」
「もちろん。ここ、あんたにしか教えてないし」
「えっ!?」
「気をつけて帰りなよ」
片手を上げて俺に背を向けた君が反対方向へと歩き出す。
もう少し一緒にいたいと思っていても、そんなこと言えるわけもなくて、しばらく後ろ姿を目で追いながら俺自身もようやく体を回転させると、足を前に進める。
「おい、今井珠利!」
突然名前を呼ばれて、その場に立ち止まりゆっくり振り返ると、すぐ目の前まで君が近づいてきていた。
「どうしたの?」
「今日は、帰るの?って聞かないのか?」
「な、んで……?」
「あれがお前の誘い文句だろ?」
「ちがう……し……」
「だったら、もう一度ここで言ってみてよ」
「意味わかんない……」
あまりに真剣な顔で俺を見ている君から顔を逸らすようにすると、がしっと腕を掴まれた。
「池脇……」
「嫌だ」
「ほらっ、言って……」
本当に小さな、小さな声で耳に息がかかるくらいの距離で言われたら、あっという間に俺の顔は耳まで真っ赤になってしまう。
恥ずかしくて、顔さえ上げることができない俺の腕を君がきゅっと握り直した。
思わず顔を上げた俺の目の前には、真っ直ぐに俺だけが映っている瞳があって、その瞳に吸い込まれてしまいそうで、逸らしたいのにそれは許してもらえなくて――。
「颯天……帰るの?」
ただ素直に言葉が出ていた。
君が握っていた腕から掌へと自分の手を移動させてきて、優しく指を絡めてくる。
俺はその手を静かに握り返した。
「今日は帰さない」
そう言うと、君が歩き出す。
俺も何も聞かずに、引かれるまま着いていく。
月明かりの空の下で、これから始まる二人の関係にどきどきしながら、俺は君の手をもう一度握りしめた。
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