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徹の事情
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約十五年にも及ぶ期間、日本を離れた箱崎 徹は、当初、ニーベルクに暮らす、知人を頼って暮らしていたのだが、高齢だった知人が亡くなり、ニーベルクで知り合った、随分と年上の内縁の妻と、共同経営と言う形でナイトクラブを経営していた。四年前、女と死に別れ、以降自由気ままの道楽で店を開けていた。
徹が日本を離れ、ニーベルクに暮らしたのには理由があった。日本で暮らせない理由……
十五年前、未だ二十代だった 徹は、指定暴力団福富組組長、福富 尚夫の情婦と承知で、ある女と恋に堕ち、あっさり尚夫に関係を知られた。言い訳など出来ない、現場に踏み込まれたのだ。
日頃から徹を敵視していた尚夫は、激昂の末銃を乱射、女は徹を庇い銃弾を浴びて命を落とし、逃げ果せた徹は、当時懇意にしていた兄貴分の手引きで、ニーベルクへ身を潜めた。
女を寝盗られ、顔に泥を塗られただけでは無く、お気に入りの情婦を失った怒りで、尚夫は徹に命で償わせようと、組だけでは無く、付き合いのある組織にも声を掛け、兼ねてより、徹を快く思わない面々が終結、徹は日本と言う国に戻れ無くなってしまった。
その福富 尚夫が先月死んだ。敵対する組との抗争で、一家殲滅状態、福富組は消滅、十五年と言う年月に、徹に落とし前をと執着する者ももういない──命を狙われる謂れも無く、日本から離れて身を隠す理由も無くなった。
経営していたナイトクラブを、信頼出来る男に託し、徹はこの度めでたく帰国と相成った。
死と背中合わせに怯え、十五年前飛び立った空港へ降り立ち、懐かしい日本の地を踏んだ徹は、長旅で強張った身体を解すよう、一つ大きく伸びをした。
青空を見上げた徹の瞳は、闇に暈して曖昧に流した十五年間を、ここからしっかりとやり直せるような、期待と喜びに満ちた眼差しだった。
マンションのインターホンが鳴らされたのは、日曜日の午後、二時を随分回った頃、ぼんやりテレビを眺めていた武尊に、そろそろ三時のティータイムをと、白露が湯を沸かしに、キッチンへ立ったタイミングだった。
インターホンに応答して程なく、部屋を訪れた徹は、上機嫌のままリビングへ入ると、白露の姿に驚き、
「何だよ、女と暮らしてたんだ。突然で悪かったなぁ……」
今更ながらに恐縮すると、『お邪魔します』とニーベルク語で挨拶をした。
「──日本語で大丈夫だ、名前は──ルナだ」
武尊の説明に、徹が『こんにちは』と照れた風に挨拶を向けると、瞼蓋を伏せた白露が挨拶を返し、そっと武尊の背後へ身を隠した。そんな健気らしい様子に、『お前も隅に置けないなぁ』と徹は洩らし、
「いつ一緒になったんだい?」
ソファーに腰を降ろしながら、サッ──と部屋を見回した。
「しかし随分若いなぁ。娘──麗奈って言ったか? 大して変わらないんじゃね?」
明らかに冷やかし口調で武尊を睨み、『うるせぇ』と返されると、肩を竦めた。
「まだ日本に来たばかりなんだ──麗奈にも、庸子にも紹介して無い──」
武尊が告白しながら紅茶を持て成すと、目の前に置かれたティーカップに、徹は目を丸くした。
「おいおい、辞めてくれよ。子どもじゃ無いんだぜ。ビールとか無いのか?」
武尊にアルコールが無いことを聞くと、徹は何か言いたそうに、紅茶がたてる湯気をじっと凝視めた。
暫くの間、お互いの近況報告のような会話を重ねた処で、神妙な顔を造った徹は、
「俺も庸子さんの会社で、働けないかなぁ──」
日本での身の置き場を探していると言い、『仕事なら何かあるだろう』と、明日にでも聞いて置くと武尊は約束した。『宜しく頼む』と、顔の前で手を合わせた徹は、陽が暮れる前に、『じゃぁ、またな』と帰って行った。
てっきり長居されるものと、覚悟をしていた武尊は、意外に早く腰を上げた徹に驚きながら、ベランダに面した掃き出し窓を眺めて、穏しく紅茶を飲んでいる白露に目を遣った。
「日本に来て一週間──そろそろ紹介しなくちゃな……」
姉の庸子と、娘の麗奈に、ニーベルクから迎えた白露を、何と言って紹介したものかと、武尊は思案した。
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