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最近、美琴の雰囲気が変わった。
彼女は昔から気分の浮き沈みが激しく、飽き性で自己中心的、更には強い他責思考を持つタイプの人間だった。そのせいでありとあらゆる人間関係が上手くいってなかったのだが、それが今では明るく優しい、以前とはまるで別人のような、誰からも好かれるタイプの人間になったのだ。
私はそれを嬉しく思うと同時に、彼女に対して少々の不信感を募らせていた。
彼女はとんでもなく美人で、街を歩けば男女関係なく一目惚れさせ、一日に何十、何百回と声を掛けられる様な完璧な外見を持っていた。
しかし、彼女は美しい花には棘があるという言葉を体現しているような存在だったので、彼女の事を女神だと何だと神聖視していた人間も、翌日には彼女に対して罵詈雑言の雨を降らせるようになる。
そんな彼女と一緒に居られるのは私だけだった。
私は幼い頃から彼女の全てを肯定しながら生きてきた。彼女にどんな罵声を浴びせられ、無理難題を押し付けられても私はそれに答えたし、学生の頃、クラスの全員、教師までもが彼女に敵意を持って接してきた時も、私が一人で守ってあげた。
高校生になって、大学生になって、社会人になった今でもそれは変わらない。たまに見せてくれる彼女の微笑みと、心がこもっているのかどうかも分からない簡素な感謝の言葉、それだけで私は、彼女に全てを捧げても良いとさえ思えた。
だから、私の知らないところで彼女が変わってしまったのがたまらなく嫌で、怖かった。
「私ね、”食道”っていうのを始めたの」
突然家に押し掛けてきて、リビングを占領して缶チューハイを飲んでいる美琴の為に夕飯の準備をしていると、そんな事を言われた。
「食道って、体の中にあるやつ?」
「いやいや、そっちじゃないよ。ほら、茶道とか剣道とかあるでしょ?そんな感じのやつだよ。ちょっとした…習い事?みたいな」
どうやら両親から"食道"というのを勧められ、実際に初めてみるとメンタルや体調が安定するようになり、果ては物事に対する考え方まで変わったという。
私はそっと胸を撫で下ろした。美琴が別人のようになったのはそれが原因だったのか。もし彼氏ができたなんて言われたら、正気ではいられなかっただろう。
安堵したのも束の間、私は急いでスマホを取り出して食道について検索した。しかし、どれだけ検索しても習い事の食道に関する情報は一切出て来なかった。
「ねぇ、その食道って本当に大丈夫なやつなの?」
「え、なんで?」
「スマホで調べても全然出て来ないんだけど……」
「あーねぇ、それはアレだよ、食道って一部地域、って言うか村?でしかやってないらしくてさ。一応、神聖な行事?みたいな扱いだから、あんまり公言とかしてないんだって」
何と言うか、ますます怪しく思えてきた。危ない宗教とか、最近流行りの村ホラー的なものなんじゃないだろうか。たった一人の大切な親友がそんなものに巻き込まれていたとしたら……。
うんうん唸っていると、美琴は過保護な私に少し呆れたように微笑んだ。
「そんなに心配なら凪咲もやってみたら良いよ。別にそんな難しい事とかしないしさ」
「うーん、でも……」
「ね?」
「…わかった……」
そう、私は昔から、美琴の頼みを断る事ができないのだった。
※※※
食道なんて言うものだから、てっきり料理や食事中のマナーに気を付けなければいけないのかと思っていたが、どうやら、そうではないようだ。
美琴によると、毎日三食しっかりと食事を取り、肉や魚、野菜をバランスよく食べれば良いだけらしい。
「え、それだけ?」
「うん、それだけだよ」
私は面食らってしまった。そんなのはいつも通りの日常と何ら変わりないじゃないか。これだけで人間の性格がここまで激変するなんて信じられない。
「それと、一カ月に一回、会食があるの。そこでみんなと食事するだけかな」
「みんなって、食道やってる人達の事?」
「そうだよー、次の会食は来週だから、凪咲も一緒に行こうね」
「……うん」
会食に参加すれば何か分かるかも知れない。
もし変な宗教団体だったら、私が何とかして美琴を助けるんだ。
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