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会食に参加する為、私たちはで電車とバスをいくつか乗り継いでから一時間ほど山道を歩き、やっとの思いで目的の村に辿り着いた。
「会食までまだ時間あるし、私が村を案内してあげる。任せてよ」
「案内って、何回か来たことあるの?」
「んーん、前に一回来ただけだよ。でもめちゃくちゃ良いところだから大丈夫」
何が大丈夫なのだろうか。私は美琴に手を引かれて村を見て回った。
”根神村”と呼ばれるその小さな村は、周囲を山々に囲まれており、広い田畑といくつかの民家、コンビニや飲食店等はどこにも無い、所謂、限界集落と呼ばれるような村だった。勿論、スマホの電波状況も悪い。
村の端には牧場があるらしく、民家の軒先で遊ぶ子供たちの声に混じって、牛や鶏などの家畜の鳴き声が遠くから聞こえてくる。
時折すれ違う住民たちは朗らかな雰囲気を纏っていて、よそから来た私たちに対しても分け隔てなく接してくれる。
なるほど、少し見て回っただけだが、ここが良いところだと言う気持ちは何となく分かる。豊かな自然と優しい住民、誰もが夢見る理想的な田舎といった感じだ。
「よし、そろそろだね」
昼の十二時を少し過ぎた頃、私たちは村の公民館へと向かった。
公民館の前には既に十数人程の大人たちか集まって談笑している。老人が多いが、若い夫婦の姿なんかもチラホラと見え、琴美の両親も居た。
「こんにちは。玖珂 美琴さんと湖 凪咲さんですね?」
「はいッ!?」
背後から突然話しかけられ、思わず変な声を出してしまった。
振り向くと、そこには着物を着た背の高い老女が立っていた。人当たりの良さそうな柔らかな雰囲気と、背中に一本の芯が通っているかのように美しい立ち姿から、この老女がこの村の長のような立ち位置である事が一目で分かる。
「あらあら、いきなりごめんなさいねぇ」
「い、いえ、こちらこそ、大きな声出してすみません……」
フフフッ、と笑う美琴の声と、周囲からの視線の集中に顔がどんどん熱くなってくる。
「私、この村の村長をしている、出水 和と申します。凪咲さんは、今回が初めての会食ですね。どうぞ、ご堪能していって下さいねぇ」
「あ、丁寧にどうも、ありがとうございます……」
出水さんは柔らかく微笑むと、次は公民館の前に集まっている人たちのところへ行き、挨拶回りを始めた。
美琴が私のわき腹を肘で小突きながら、自分の親族を自慢するかのような微笑みを浮かべて囁いてくる。
「ね、良い人だったでしょ」
「うん、何て言うか、すごく綺麗な人だった……」
私が出水さんを視線で追いながらそう言うと、何故か美琴は少しだけ不機嫌そうな、おもちゃを取られて拗ねる子供のような表情になってしまった。
「……凪咲って、あぁいう人がタイプなんだ?」
「え、いや、そういうわけじゃ……」
「ふふ、冗談だよ。ほら、もう会食の準備もできたみたいだし、行こ?」
美琴に手を引かれて公民館の中に入ると、広い和風の室内には低いテーブルと座椅子がズラリと並べられ、まるで大きな宴会場のようだった。
既に何名かは着席しており、私たちも端の方に座った。次第に座席は埋まり、室内の雰囲気も賑やかになっていく。
テーブルの上には山菜の天ぷらや小鉢、王冠のような形をした一人用の卓上コンロに乗せられた小鍋などが並べられており、学生の頃、修学旅行で出された旅館の料理を思い出す。
私が卓上の料理に意識を奪われていると、いつの間にか周囲の雰囲気が変わっている事に気が付いた。先ほどまでの賑やかな宴会の雰囲気は息を潜め、少々息苦しく感じるような重たい空気が室内に漂っている。
何事かと周囲に視線を配ると、部屋の奥に一人の女性、出水さんが立っていた。
「我々、生物の命は毎日の食事によって保たれてきました。食事とは、他の命を糧とする事。我々が今こうして立っている場所は、これまで糧としてきた命たちが築き上げてきた生命の道の上なのです。食道とは、我々を支えてくれるすべての命に感謝し、我々もまた、生命の道を築き上げる一員である事を忘れないようにする為にあります」
静まり返った室内で、出水さんの声だけが聞こえる。いや、別の声も。泣いているのだろうか、あちこちから鼻を啜る音や小さな嗚咽も聞こえてくる。
ちらりと横を見ると、美琴の瞳が涙で潤んでいるのが見えた。
正直、どこに泣く要素があったのかはまるで分からないが、感性なんて人それぞれだし、感受性が豊かなのは良い事だ。
私は一人、うんうんと頷いた。
「それでは皆さん、命をいただきましょう」
出水さんのその言葉を最後に、室内は静寂から解き放たれ、また賑やかな雰囲気を取り戻した。
私も待ちに待った食事を楽しむ事にした。
※※※
出された料理はどれも美味しかった。美味しかったのだが、量が少し少なかった。これは私が大食いだからというわけではないし、どちらかと言えば私は小食な方だと思う。
何と言うか、不完全燃焼な気持ちになってしまった。
「凪咲、物足りないって思ってるでしょ」
「んーまぁ、ちょっとだけ……」
「安心しなよ、これ、前菜みたいな物だからさ」
美琴の言葉の意味がすぐに分かった。
「失礼致します」
十人程の着物を着た若い男女がやってきて、慣れた手付きでテーブルの上の食器を次々と回収し、部屋の外へと出て行く。一分も経たず室内から食器が無くなると、代わりに大きな皿が運ばれてきた。
皿の上には数種類の肉料理が並べられていた。ステーキやロースト、触れれば崩れそうな程に柔らかくなるまで煮込まれた物もある。
なるほど、これがメインディッシュか。私は思わず喉を鳴らした。
「これ、全部この村で取れたやつらしいよ、すごいよね」
それから美琴は得意げに、並べられた肉たちの解説をしてくれた。
牛や豚、山羊、羊、猪、熊、蛇に鼠。
「え、へびと、ね、ねずみ……?」
私はゲテモノ系の料理が苦手だった事もあり、食欲が急激に減退してしまった。
「凪咲、好き嫌いは駄目だよ。私たちはこういう命たちに生かされてるんだから…それにね……?」
美琴は一つ呼吸して、私の手を握った。
「私、前までは嫌な人間だったでしょ?本当、どうしようもないくらい……。でもね、この会食に参加して、自分は色んな命に助けてもらって生きてるんだって分かったの。私が変わる、変われるきっかけをくれたこの料理を、凪咲にも食べてみて欲しいの……」
美琴の頬が赤みを帯びていて、私はその美しさと儚さに胸を鷲掴みにされてしまった。
「……うん、ちゃんと全部食べるよ」
「…そっか、ふふ、良かったぁ……あ、そうだ」
美琴は何かを思い出したかのように、皿の中央に置かれたステーキを指さした。
「これがね、神様の肉だよ」
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