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「そっちも頑張ります。得意ですから」
※
「なぁ、タエ子」
「はい」
茶を飲みながら栄助は口を開いた。いつものように穏やかに答えるタエ子。
「おめぇはいつまで俺の前で糸を垂らしてくれるんだい?」
「いつまでも」
「ええ」
何を愚問を、というように小首をかしげるタエ子。
そうだ、無駄な質問だ。タエ子にとっては。
栄助が落語を究めようとする限り、彼女はこうして待つのだろう。
飯と寝床を用意して。
誰のためでもない、栄助のためだけに。
屈折している自分を包み込むように。
母親が子どもを安心させるかのように。
栄助はゴロンと転がりタエ子の膝に頭を載せる。
しばらく寝てない。あっという間にまぶたが落ちてくる。
「タエ子」
「はい」
「眠い」
「はい」
そっと糸が垂らされる。
どうぞ、こちらに戻ってきてくださいとでもいうように。
栄助はしばし落語の深淵の世界を見渡す。
暗闇の中、もっと漆黒の闇が現れる。
タエ子の糸の光により、より鮮明になる落語の深み。
今は立ち向かう体力、気力は、残っていない。
仕方無しに栄助はタエ子の糸をつかんだ。
自分はあと何回、この糸を上るのだろうか、と自問しながら。
糸は、幸いにも途中で切れることはなかった。
(終)
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