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「迷っているところ」
「へ?」
「この言い回しでいいのか。この声の抑揚でいいのか。噺をすればするほど迷って迷って深い混沌に捕らわれていくところ」
タエ子が何を言っているのか理解はできなかった。
直感で師匠が栄助に伝えたかったことと同一だとわかっただけだ。
「なんでぇそう思う……?」
問う声は、掠れていた。
「声を聞いたらわかりますよ。だって視えないんですから」
背筋がゾワッとした。これ以上続きを聞いたら、落語に捕らわれる。
だが、栄助は聞かずにはいられなかった。
「迷いを無くすにはどうすればいいんだい?」
タエ子の答えに栄助は納得するしかなかった。
「栄助さんの芯に、ご自身の核の部分に逃げずに向き合って。
栄助さんの今までのすべてを思い出して。
そうしたら何かしら答えは出るかと思います」
多分ですけど、とそっと付け加えたタエ子の言葉は、もう栄助の耳には入らなかった。
「あの頃の、底辺だった生活を思い出して。……向き合えっていうのかい。たった一人で」
長い沈黙の後、独り言のように吐き出した栄助の言葉にタエ子は笑った。
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