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「おはよう、レイダ」
わた雲が浮かぶのどかな空に姫の声が凛と響きます。
「おはようございます、マリー様」
レイダと呼ばれた男は、剪定の手を止めてうやうやしく頭を下げました。
本当はもう昼過ぎですが、レイダは決して姫を否定しません。
先祖代々王家に仕える従順なしもべである彼は、たとえ真夜中でも姫が「おはよう」といえば朝の挨拶をし、「いい天気ね」といえば土砂降りでも日傘を差し出すのがきまり。
愚鈍なほどに忠実なこの男は誉れなことに、マリー姫と同じ年の同じ日に生を受けました。つまり、この世に生まれおちた瞬間からマリー姫とレイダは主人と従者なのでした。
「いい香りがするわね。何の花かしら」
「クチナシです」
レイダは片隅の灌木へ姫を案内します。
甘く涼やかな香りを姫は胸いっぱいに深呼吸しました。
「ありがとう」
陶器のような頬を薔薇色に染めて、姫が微笑みます。
マリー姫は余暇の大半をレイダが整えるこの小さな庭で過ごすことにしています。
あの御布令が出て以降、城前の広場は彼女の夫を目指す男たちで溢れかえっていますが、姫はそちらを一瞥さえしません。
正義と慈愛の人たるマリー姫は既に国の指導者でもありました。
類稀なる知謀と、緻密でありながらときに大胆なその政治手腕は姫の美貌以上に彼女の名を世に知らしめております。王の右腕、もとい実質の王は姫である、というのはもはや暗黙の了解。
複雑な内政も、波乱含みの外交も姫の細腕が巧みに駒を動かすことで、国の平和と秩序を保ち、あるいは勝ち取ってきたのです。
政とはいつの世も複雑なもの。
時には夜通しにもなる困難な採択のあと、この姫の小さな花園でマリー姫は凝り固まった頭をほぐします。
ここに入れるのは庭の主人であるマリー姫、そして優秀な専属庭師であるレイダだけ。
彼の育てた可憐な花は疲弊して沈む姫の心を癒し、明日への英気を与えるのです。
マリー姫は絢爛豪華な城のどこよりも、このひっそりと輝く庭を愛していました。
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