1 覚えてない

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 何もない。そう心から信じたかった俺は。  大してデカくないベッドから、色白で、意外と筋肉質なふくらはぎがはみ出しているのを。  見て見ぬふりをして、ちゃちゃっと支度だけして家を出た。 「で?そのままそのコを放置してきたのか?」  編集部の喫煙室で、同僚のゲイに、不機嫌の理由を説明した。 「……まぁ、そう」 「お前なぁ」 「同性愛者を否定しようとか、そんな気持ちは微塵(みじん)もねぇけどさ。てめぇがなるのはちげぇだろ」  メビウスの六ミリソフトの空袋(からぶくろ)を握りしめる。 「だからって、放置すんのも違うとは思わなかったのか?」  黒縁眼鏡(くろぶちめがね)(さと)される。 「じゃあ朝起きて、お前の横に女が寝てたら?お前ならどうすんだよ?」  馬鹿げてる。イイ歳こいた男二人が、朝十時前から恋バナなんて。  空袋をゴミ箱へ入れ、眉間(みけん)(しわ)を寄せた飯島(いいじま)を見た。 「少なくとも。俺なら、相手の名前や身分を確認するよ」  正論だった。 (言われてみれば、マジでなんもしてねぇまま出たわ)  着替えに歯磨き、髪をテキトーにセットして、カフェイン中毒の俺がコーヒーの一杯すら飲まず。 (メシもデスクで食ったしな) 「なぁ、相楽(さがら)」 「ん?」  お(えら)いさんとの打ち合わせがあるからと、ジャケットを羽織(はお)った飯島の真剣そうな顔が(せま)る。 「他人に興味がないのは知ってるけど。お前はもう少し、相手のことを気にかけた方がいい」 「ん゛~~。さすが飯島。俺の胸いま激痛だわ」 「嘘付け」  いい加減限界な灰が落ちたのを横目にドアを開ける。 「いや?半年振りに吸いたくなるくらいには痛ぇよ」  去り際に、 「吸う口実を探してただけだろ」  なんて、聞こえた気がしないでもなかった。
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