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思い出せない、
思い出せないなら、それは、重要ではないことなのだろうか。
『朱一さん、私がもう今を生きる貴方に関わることはないでしょう。貴方への返事という体で書いたこの手紙も私があの奇妙な一幕を、恣意的に正される前の真実を忘れない為の備忘録にすぎないのですから。 敬具』
鉛筆を置いて数秒、少し考えてもう一度手に取る。
『追伸、貴方と直接お会いするのを躊躇ってしまったのは、たぶん、今回の件で貴方の気持ちが完全に緋鶴さんのものなのだと、知ってしまったからですわ。勝手に好きになって、勝手に失恋したことが、ちょっと悔しかっただけ。』
ほぅ、と、一息つく。
もう出す宛の無い手紙の束に封をして、引き出しの中に仕舞う。
朱一さんとの手紙の遣りとりは、一月前、本の感想を送ったのを境に、途絶えていた。
代理人の件を書いた手紙、そこに同封されていた緋鶴さんへ宛てた手紙は部屋中どこを探しても終に、見つからなかった。
緋鶴さんが、持って行ったのだと思うことにした。
それが、私が選びたい真実だから。
「んんっ..」
何だか一か月分の凝りを感じるわね。
疲れ切った全身を労わろうと、思い切り伸びをする。指を組んで、天井に向かって、グイッと、ん?ん?
指を、組んで?
その瞬間、バチッと欠けていた部分がはまった。
絡められた大きな手、ボロボロの爪、痛々しい指先。
でも、温かい、血の通った手。
「コウタロウさん!」
「何?」
え、
声がした方を見て、私は仰け反って床にひっくり返る。
「ぎゃああああぁぁあああ!!」
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