希代子さん 2013

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 あ、ぶつかった、と思ったら、それまで一定方向に行儀よく流れていた人や車が、ねじれたように動きを変えた。  希代子さんは、展望フロアの背もたれのない腰掛けに座り、全面ガラスの窓から遠くの景色を眺めていた。視線を下界の道路に移した途端、その光景を目撃した。  歩道で行儀よく一方向へ進む人たちの中、流れを無視するように一人が道路にはみ出し、そこへ赤い車が突っ込んだのだ。  はみ出した人は倒れ、その周りで一瞬、時が止まると、次の瞬間に周りの人の動きも乱れて辺り一帯が混乱した。 死んだのだろうか。  12階の展望フロアからは血も人の表情も分からない。  男か女かもわからない。  事故に気付いた人たちが希代子さんの前に立ちふさがり、ガラスにくっつくようにして下を眺め、360度見渡せるフロアの一角に、そこにいたすべての人たちが集まった。  もうちょっと見ていたかったけれど。  希代子さんは7階の事務所に戻るため、しんとして人のいないエレベーターホールへ向かった。  どうしてあの人は突然、道路に出てしまったのだろう。  事務所に戻ると加藤さんが、「どこ行ってたんですかあ」とのんきな声を出した。そして、ホチキスで留めた4枚の紙を希代子さんに手渡して、 「今日の終業までに、200部ずつ両面で印刷して、ページ順にホチキスでとめてくださあい」  と言い、つややかな長い髪をさあっとかきあげるとまわれ右をして自分の席へ戻った。
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