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ここにくるまでどこにも採用されずにいた。
久しぶりに見るハローワークの求人の数は驚くほど減っていて、事務職はその中で最も少なかった。
運転免許を持っていない希代子さんは要普免の文字を避けて応募しては落ち、毎週木曜日に更新される情報を頼りに3か月間ハローワークに通い続けた。
事務補助というアルバイト募集を見た昨日、窓口で電話をつないでもらい、今日、面接に来たのだった。
面接の帰り道、値段とカロリーが高いので普段は見るだけで我慢しているナッツ入りのバニラアイスを買った。
夕方近く、テレビで情報番組を見ていたら電話が鳴り、明日から来てくださあい、と言われた。
希代子さんは築30年のアパートに一人で住んでいる。
両親は亡くなり、残してくれたお金はそんなに多くはなかったが、アルバイトをして毎月の収入を得て、節約していればなんとか生活することができる。
去年まで10年間、主婦をしていた。
今年の初めに離婚して、両親のお墓のある地元へ戻ってきた。
お盆と正月にだけ帰ってきていた地元に、結婚前と同じように住むことになった。
帰省するたびに街は変わり、10年前とはまったく違う顔になっていた。
私も変ってしまった、と希代子さんは思ったが、実は全く変わっていないというほうが正しい気がした。
ずっと変わらないから、離婚したのだ。
一日の仕事を終えてアパートの近くまで来ると、1階の道路側の部屋から香辛料の匂いが漂ってくる。
どんな人が住んでいるのか知らないけれど、玄関先に鉢植えをいくつも並べ、窓越しに見える室内にかけられたカーテンはレインボー色だ。
休日は昼間からお香の匂いと、エキゾチックな音楽が聞こえてくる。
希代子さんは自分の部屋でじっとその匂いや音に浸るのが結構好きだ。
知らない土地に行ったみたいな気分になる。
そうしていると、ときどき、どこからかどなり声混じりの、喧嘩をしているような、言い合いをする声も聞こえてくる。あちこちにぎやかなアパートだと、うとうとしているうちに、いつの間にか眠っている。
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