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あのおねえさんは、きっと、雨乞いをする村人の役を練習していた。
うちの近所には割と大きな公園があって、いわゆる野外ステージがある。まぁ、ステージにしては小さめだけど、特定の曜日と時刻にずっと歌ってる人とか、短期間だけダンスの練習してる人たちとか、芸人みたいな人とかもいたりする。投げ銭もらってる人とかもたまにいるんだよね。公園の中や外やをジョギングしてる人と同じくらいの人数なんじゃないかと思う。ボクはきっとこういう人たちを眺めるのが好きで、危ないから公園の中はむやみに歩かないようにって親に言われても、近道だからとか言い訳しては見に来てるんだな。
あのおねえさんはきっと女優さんなんだ。もう四〇歳くらいなんじゃないかと思う。きっと実力はあるのに大成しない人。若輩者のボクなんかすると、まぁ、大人のことはよく分からない。「持ってない人」って呼んでいいんだろうか。テレビドラマや映画で見たことはないんだけど、深夜に放映されてたコマーシャルに脇役でちらっと映ってたのをたまたま見かけたことがあって、ああ、そうなんだなって思ったんだよね。いっつも一人で練習してて、まぁ、もう家族もいなくって女優一筋で頑張ってきたんだろうなぁ。彼氏どころか友だちもいないんだろうねぇ。若手の女優さんたちに太刀打ちするのも大変なんだろうな。っつっても、朝の六時前から、よく練習してるなぁって、ほんと、ボク、感心しきりです。
でも、あのおねえさんがステージに立って、どこか一点を見つめているだけで、その背景が見えたことがあった。あれはきっとイオカステを演じていたんだろうと思う。オイディプスが自らの息子であると気づいた、まさにその瞬間の演技を練習していたときがあった。その形相を見せた瞬間、ボクはこの世の中がいままさに終わってしまうんじゃないかって、それくらいの恐怖を覚えたもの。
いまも背景が見える。あんな風になにかを掴むように指を曲げたその手の平を胸の前で空へと向けて、一粒の雨が降りてくるのを待っている。乾いた口は中途半端に開けられ、ぎらぎらと照りつける太陽を恨めしい憎しみをもって睨みつけている。きっと、日照り続きでひどい干ばつに悩まされているのだろう。雨乞いをする巫女って感じじゃないし、龍神と会話する預言者でもないだろう。人柱に選ばれてしまった村の若い娘ってこたぁないだろうな。どちらかというと、その不運な娘の母親かな。自分の娘が大事なのに越したことはないけれど、自分だって米を育てたいし、風呂にも入れないもんだから水浴びだってしたいし、いまだって喉が渇いて渇いてしょうがなくってもう気を失いそうなくらいだというのに、太陽に対する憎しみでなんとか立っていられるって体なんだよね。言うでしょ。そろそろ。「雨よ降れ!」って。ほら。言ってよ。ボク、ちゃんと聞いてあげるからさ。ね。言いなよ。ね!
「なに見てんだよ!」
へ?あ?あ、ああ。ボク?すいません。
ドスの強い声がボクの背後から聞こえてきた。ボクはそれにやっと気づいて後ろを向いた。朝帰りのホストみたいな、きらきらしたお兄さんがそこにいた。
「邪魔でしょ、洋子ちゃん。こんなガキが見てたら。」
「いいのよ。誰かの視線が感じられる方が。」
なんだ。ボク、利用されてたのか。しかも、彼氏いたんだ。
この日以来、ボクはあのステージに近づくのをやめた。
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