9人が本棚に入れています
本棚に追加
埼玉県の事件
俺は早速、橋の先にある埼玉県の事件現場に足を運んでみることにした。
警視庁の刑事である石井には捜査権はないから一人で動くことしかない。
『いいか、絶対に無理はしない。磐城は凄腕だったけど、今は違うんだからな』
橋を渡る前に石井に言われた。そんなこと解ってる。と言いたかった。俺は今やペット探しの探偵に成り下がった。勿論人探しも浮気調査も依頼があればやることはやる。でも妻を殺した犯人が逮捕されて以来、気力を失いかけていた。
ペットレスキューに命を賭ける探偵もいる。部類の動物好きな探偵は雨の日でもお構い無しに捜査していると聞く。そんな連中を前に成り下がったとは言えない。でも内心は心これに在らず的な仕事っぷりなのだ。それは自分でも自覚している。
探偵の仕事は地味で地道な捜査だ。でもそれは刑事のそれと大差なかった。とは言え、迷子のペット探しは別物だった。
時間が経てば経つほど見つかり難くなるのは当たり前。でもそんな状態になったからの依頼も良くあることらしい。
猫の顔写真だけで見つけ出すのは至難の技だ。
飼い主からの特徴などの情報と良く見比べて確保しなければならない。
その猫以外を間違えて連れていったら、飼い主に顰蹙を買う以外に盗まれたとして訴えられることだろうから。
その一方、浮気の調査はプライバシー保護の観点からも慎重を擁す。
実際の探偵業は地味で浮気調査や人探しなどで占められているようだ。
最初の仕事は迷子の子猫探しだった。
普通の猫がシャム猫のみたいな仔猫を産んだ。
それを親戚の子供が欲しいと言ってきたそうだ。
『乳離れしたら取りに来ることになっているのだけど……』
そう言った依頼人の脇で仔猫がジャレていた。
『この猫ではないのですか?』
俺の質問に依頼主は首を振った。
『姿格好は同じです。でもその子が気に入ったのが居なくなったもう一匹の方でして……』
『それじゃ、これと同じ猫を探せば良いのですね?』
俺の質問に依頼主は頷いた。
俺は早速、依頼人宅の後にある畑から捜索を始めた。
少し行ってみて、畑の脇に線路があることに気付いた。
断崖の下にあったから気付かなかったのだ。その横には橋が架かっていた。
(此処で落ちて電車に轢かれていたら……)
そうも思い目を凝らしたけどそれらしい物は何もなかった。
そんな時にとある目撃情報が入った。
『迷子の猫を知人が保護していますが……』
『その方を教えていただけますか?』
『いえ、私から聞いてみます』
その人はそう言うと、線路の上に架かる橋を渡り始めた。
『『迷子の猫を預かっているの』お友達の子供がそう言っていたのよ。シャム猫のようだなって思ったの』
(間違いない)
俺はほくそ笑んでいた。
『『ママが迷子の猫だって言ってたの。飼い主が現れたら返すんだって言ってたよ』その子はハッキリとそう言ったわ。だから私から聞いてみますね』
その家の脇に立って、行為に甘えることにした。
俺は警察官だった癖が抜けきれずに、聞き耳を立てていた。
『昨日お宅で見た猫なんだけど、迷子なんですってね。実は、公園の前の家の猫らしいの』
その人は俺のことは一切出さずに言ってくれた。
『その家の人に、家に居るって言っちゃたの?』
言葉を遮るようにその家の人が言った。
『言ってないよ。ただ心当たりがあるって……』
『それが、言っちゃったってことよ。それであの人は何て?』
『あっ、ごめんだから言ったのはあのじゃなくて』
『じゃあ誰よ!?』
何故か雲行きが怪しくなってきた。
『アンタのお陰であの猫返さなくてはいけなくなっちゃったじゃない!!』
後日、俺がお礼に伺った時のことだ。
あのシャム猫を保護してくれていた方が怒鳴り込んでいた。
『何で、何で黙っていなかったの!!』
その剣幕は物凄くてあの時受けた印象とは違っていた。
その後も協力者に罵声を浴びせた。
『だから私は別に……』
その人本当に何も言ってなかった。
誰も傷付かないようにと最大限の配慮をしたのだ。
俺は怖くなった。
迷子の猫が可愛くなって、隠して飼う気だと知ったからだ。子供の前では保護したと言っていても、それが本音とは限らないと解ったからだ。
探偵になったばかりの俺は物凄く貴重な体験をさせてもらったのかも知れない。
ただ、あの奥さんだけは気の毒な思いさせたと思っている。
基本的に飼い猫の場合、何かに追われたりしていなければ近くに居るのが原則だ。
だから俺は近所の人に声を掛けたのだ。
まさかこんなことになろうとは思ってもいなかったのだ。
怒鳴り込んで来た奥さんは依頼者の裏の畑で遊んでいた仔猫を連れて帰ったのだ。その畑は線路脇にあり、地主の好意で安く貸してくれていたそうだ。飼い主の家から数メートルしか離れていなかったのだ。
迷子か捨てられた猫だと思い込み、奪ったのだ。
知らなかったとは言え、それは立派な犯罪行為なのだ。
(いや、違う。あの奥さんだって公園で子供を遊ばせていた筈だ。地域に一つしかないみたいだから……。もしかしたら全て知っていて隠したのかも知れない。自分の行為を正当化するために迷子だとしたのだ)
そんなことを思い出しながら俺は橋の先を目指して歩いていた。
俺の甥は中学生になると、学校が早目に終わって部活の無い日は良く俺の事務所に遊びに来ていた。
両親は共働きで鍵っ子だった。小学生の時は学童があり、家族が迎えに来てくれるまで預かってもらっていたそうだ。
自転車通学になって暇をもて余した時だけだけど、姉は俺が心配だったようでそんな瑞穂(みずほ)の行為を喜んでいたのかも知れない。だから探偵の真似事をさせても何も言わなかった。
その内に見よう見まねで迷子の猫探しなどを手伝ってくれるようになった。
給料なんて払ったためしはないけど、瑞穂はアルバイトだと思っていたのかも知れない。勿論誰にも言っていない。
甥っ子だけど子供を雇っているとか噂を立てられたくなかったからだ。
姉にすれば弟に子供を預かってもらってくらいにしか思っていなかったはずだ。
でも本当の理由は俺のお目付け役だ。
俺が又暴走しないか心配だったのだ。
新婚時代に殺された妻のことなどで色々と気遣ってくれたのだ。
甥の恋の相手の家は新興住宅街にあった。甥を付けて解ったことだった。
甥が立ち去った後、俺はその家の庭を覗き込んで驚いた。
あの女性が居たからだ。
俺が初めてペット探しを依頼された時に協力してくれた人だった。
(彼処に居づらくなって引っ越したのかな? 俺はのせいだったらどうしよう)
そう思うと気が気じゃなかったのだ。俺は立ち上がって挨拶をした。
『あっ、貴方はペットを探していた人……』
どうやら俺のことを覚えていたようだ。
『あっ、ペット捜しの途中です』
俺は咄嗟に嘘をついた。
『あの時は本当にお世話になりました。ところで、引っ越しなされたのですか?』
俺の質問に女性は頷いた。
『やはり気まずくなりましたか?』
もう少し言葉を選べばいいもものそのものズバリを俺は言っていた。
『それもありますが、色々と判りまして……』
(いや、きっと俺の責任だ)
俺は萎縮した。
『あの実は、あの後色々言われまして……』
その発言に更に緊張して、次の言葉を待つことにした。
『やはり私の責任ですね』
それでも俺は言っていた。
『いや、違うんです。あの人は親切だったので信用していたのですが、自分の発言を他人が言ったように偽装していたのです』
『偽装? もしかしたら自分で悪口を言っておいて奥さんのせいにしたとかですか?』
『はい。同意を求めてくるんです。『そうね』とか言ったらアウトらしいです』
俺の質問に頷きながら女性は言った。
俺が迷子の子猫を探す仕事をしなかったら、こんな苦労はしなかったのかとも思った。
『本当にご迷惑をお掛けしました』
それでも俺は言っていた。
『いえ、だから本当に違うのです。私はずっと騙されていたのです。だから探偵さんには感謝しております』
女性は頭を下げた。
(俺に感謝? もしかしたら俺の猫探しがきっかけで化けの皮が剥がされたのか?)
俺は良い方向に考えることにした。
『基本的に飼い猫が家から居なくなった場合、何かに追われてない限り近くに居るのが原則です。猫は臆病ですから、半径百メートル以内にいるとされています』
『だから公園の近くに居た私達に声を掛けたのですか?』
『はい。飼い主さんの家の前は公園でしたから、集まっている方に声を掛けさせていただいたのです』
『引っ越しする前日にあの公園に行ってみたのです。公園に面しているその家の飼い猫が、子供に撫でられていて……、あの騒動の後『まさかあんな汚い猫が産んだとは思えないから捨てられた猫だと思ったのよ』って言ってました』
俺はあの公園のことを思い出していた。
子供が近付けなくするために柵のあるブランコ。形ばかりの砂場。それは迷子の仔猫の飼い主さんの庭と繋がっていた。
『確かに普通の猫でしたが……』
俺は言葉に詰まった。迷子の猫だと言っていたのに、捨てられた猫だと自分の行いを正当化した。
都合の良い考え方をする人がいることを知らしめられたからだった。
『あの猫はね、ああやって子供達と遊ぶでしょう。だから何時も体をキレイに洗われていたの。だから汚くなんかないのよ』
辛そうに女性が言った。
(俺のペット探しが原因で悲しい思いをさせてしまった)
俺は時々その女性を思い出しながら探偵の仕事を頑張ってきた。だから今が本当に情けない。
この事件をきっかけに立ち直ればと思っている。
そんな思いで橋の先に行った。
「ナイフで刺されたのは此処かな?」
事件現場の近くで独り言を呟く。其処には県警が付けたと思われる印があった。
俺が其処に向かって手を合わせていると、誰かがやってきた。
「そうなんですよ。本当に怖い世の中になりましたよね?」
その人は頼んでもいないのに、事件の一部始終を語り始めた。どうやら事件を見物していた野次馬の一人だったようだ。
「一度目はナイフで、二度目は自転車に乗った犯人に体を蹴られたそうです」
(何? コッチは犯人が自転車に乗っていたのか?)
「可愛そうに女子高生はその後でナイフで刺されたようです」
一方的に話し掛けてくる人をいい加減に扱うことも出来ないので、近くのコンビニに移動することにした。
「ところで、何故俺に?」
それが一番知りたい。
「あっ、ホラさっき東京の刑事さんと居たでょ。だからもしかしたら埼玉県側の事件を捜索している刑事さんかもと思って……」
(ん?)
どうやら彼は俺を現役の検察官だと勘違いしたようだ。俺は少し気を良くした。
「いや、俺は検察官じゃないんだ。そうだったことはあるけどな」
何か不都合なことがあってからでは遅いので、正直に打ち明けるこっにした。
「えっ、違うんですか? 何だ、話して損した」
「熊谷で探偵事務所を構えている磐城と申します。石井とは同期でした」
俺は慌てて名刺を差し出した。
「あっ、あの刑事さん石井さんと言うのですか?」
その発言を聞いてヤバイと思った。個人情報を教えてしまったからだった。
「熊谷の探偵さんが何故此処に?」
その人は俺に興味をもったようだ。実は俺もそうだった。何だが今回の事件に無関係だとは言い難い情報を沢山持っている人だと思ったのだ。それは元刑事の勘とでも言える代物だった。
最初のコメントを投稿しよう!