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「でもね、ぐるぐるしたり嫌な気持ちのまま花が咲いてしまうと、それは持ち主にとってよくないんだよ」
「……どうよくないの?」
「心の中でどんどん大きくなって、苦しくなって押し潰されてしまうんだ。それはとても辛いことだからね……瑠花ちゃんの種がそうなってしまわないように、僕にお手伝いさせてくれないかな」
そう言ってお兄さんは、公園の中にあるお花屋さんの車の前に木の椅子を置いて、わたしの話を聞いてくれた。
「あのね……わたし……」
熱を出して休んだこと、今日が新学期初登校なこと、クラスメイトに誰が居るか不安なこと、お休みしている間に授業に追い付けなくなっていないか心配なこと。
お母さんにも言い出せなかった不安たちが、お兄さんの柔らかな声と花の香りに優しく促されるように、ぽつりぽつりと心の奥から溢れる。
「そうか、一人でずっと怖かったね。たくさん不安だったんだ……」
「うん……熱の間も、早く治さないとってずっと焦ってたの。でも、いざ治ったら、もう五日も経ってて……今日もお休みしたら、明日がもっと怖くなるってわかってるのに……足が、動かなくて」
「それはね、不安の種が芽吹いて、根っこが足に絡み付いてるからなんだよ」
「え……」
「この根っこはね、不安な心を栄養にして成長して、どんどん動けなくさせてしまうんだ」
わたしはお気に入りの赤い靴を見下ろす。重たい足に蔦が絡んでいるようだと思いはしたけれど、実際そこに見えない根っこが絡まっているのを想像して、ぞっとした。
「……大丈夫。僕はお花屋さんだからね。任せて」
わたしを安心させるようにお兄さんはにっこりと微笑んで、エプロンのポケットから掌サイズの小瓶を取り出した。その中には、キラキラとした綺麗な粉が入っている。
「それ、なあに?」
「これはね、肥料だよ。もう既に芽が出てしまった不安の種に対処するには、綺麗とか、嬉しいとか、楽しいとか、そういうポジティブな気持ちが大事なんだ。……ほら、よく見ていて」
「わ……っ」
お兄さんは小瓶を開けて、その中の粉をふわりと空中に撒く。すると、七色に光る粉は春の日差しを受けてキラキラと空に舞い、小さな虹を描いた。
「綺麗……!」
「ふふ。雨の後には、虹が出るって言うだろう? 不安や辛さの後には、希望があるんだ。そして、虹はすぐに消えてしまうけれど、雨よりもずっと心に残る」
「……確かに。雨の回数は覚えてないけど、虹を見た時のことは覚えてる」
七色の煌めく粉が描いた虹が、春風に吹かれて流されて、わたしの足元の地面に消える。不思議と靴の刺繍の花もキラキラとして見えた。
「瑠花ちゃんが熱を出して、不安に囚われていた五日間が雨だとしようか。今日登校しようと勇気を出して家を出た時点で、もう雨は上がっていたんだよ。不安はおしまい」
「でも……」
「だからあとは、ただ楽しい想像をして期待しよう。外に出て、空を見上げて、素敵な虹が架かるのを楽しみにするだけでいいんだ」
「……虹、架かるのかな? たくさん想像した不安や悪いことじゃなくて、いいこと、あるのかな?」
「もちろん。だって、五日も降り続けた長雨だよ。それはもうとびきり綺麗な、大きい虹が架かるはずだ」
お兄さんが優しく微笑むと、何だか本当にそうなる気がした。
具体的な解決法があった訳でもない。それでも、不安を口にして、優しく聞いて貰って、綺麗なものを見て、背中を押して貰えた。それだけで、あれだけ悩んでいたのが嘘みたいに、心が軽くなった気がした。
「わたし、学校に行ってみる……悩んだって、不安になってたって、結果は変わらないもんね。それなら、楽しい想像をしていた方がいいもん」
「うん。それに……俯いているより、虹を探して顔を上げている方が、ずっといいよ。瑠花ちゃんの可愛い顔もよく見えるしね」
「……! わ、わたし、そろそろ行くね!」
お兄さんの言葉にわたしは照れてしまって、慌てて立ち上がった。そういえば、そろそろ学校に行かなくては本格的に遅刻してしまう。
恐る恐る一歩踏み出すと、あれだけ重たかった足はキラキラの粉を纏って、踊り出しそうなくらい軽くなっていた。
「うん。不安の種、ポジティブな気持ちを栄養にして、希望の花を咲かせたみたいだね」
「……そう、なの?」
「ああ、このお店にあるどの花よりも綺麗な、きみだけの花だよ」
「わたしだけの、花……」
「とっても綺麗な花を持っているんだから、大丈夫、自信を持って。その花が咲いている時は、特に笑顔が素敵になれるんだ」
「……うん、ありがとう!」
すっかり不安な気持ちはなくなって、わたしはお兄さんに手を振って学校への道を駆ける。
見上げた空に本物の虹は架かっていなかったけれど、お兄さんが作った一瞬の煌めきは目蓋の裏に焼き付いている。
きっとわたしの中にある希望の花も、あんな色をしているんだと笑みが溢れた。
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