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噂 B
男は売れない画家だった。売れないなりに好きな絵を描いて過ごしていた。
ある時、一枚の絵を描いた。極彩色の羽が生えた赤い魚達が暗闇を悠々と泳いでいる絵だ。これは中々上手くかけたと、完成した絵を男はうっとりと眺めた。羽の表現には苦心したが、その甲斐があって透き通る質感も表現できた。頭にあるものをすっかり絵にすることができて男は満足した。それからひとつの企画展にその絵を持ち込んだ。展示はつつがなく終了し、絵もいくつかの評価を頂いた後に男の元へと返ってきた。買い手がつかないのもいつものことだ。男はそう割り切って次の制作へと取り掛かった。
暫くして、その絵は奇妙な形で脚光を浴びることになった。誰が言い出したのか、「見ると死ぬ絵」としてインターネットでまことしやかに囁かれるようになったのだ。
曰く、絵に取り憑かれた女が自殺した。
曰く、展示した画廊に不幸があった。
それらは根も葉もない話ではあったが、それ故に妙な説得力と信憑性をもって拡散され続けた。
はて、と男は首を傾げた。
いったいどうしてそんな話になったのだろう。あの絵は頭に浮かぶうつくしい光景を描いたまでのものであった。なんのいわくもなんのいわれもない、ただ自分が描きあげたい一心で描いたものである。今も部屋の片隅に置いてある。男はカンバスを持ち上げた。赤い魚達の艶やかな黒い瞳もどこか不思議そうにこちらを見つめる。――と、珍しく電話が鳴った。出ると絵を一枚買いたいという商談の連絡だった。
それから、男の絵はぽつりぽつりと売れるようになった。絵でいっぱいの室内に空きができるようになり、金が入り、男はその金で画材を買った。そうしてできた絵がまた売れる。画家としては喜ばしい循環であった。……ただ一点、「見ると死ぬ絵」「見る者に不幸を呼ぶ絵」として売れていく以外は。
作品として完成させた以上、それをどう解釈するかは見る人による。それでも男は一抹の悲しさを感じた。自分は誰かを不幸にしたくて絵を描いているのではない。わざと明るい調子の絵を描いたこともあった。しかしできあがった絵はやはり、「あの画家の絵だ」という好奇の視線に晒された。何を描いても色眼鏡から抜け出せずに男は悩んだ。いつしか絵を描く目的は「好きだから」ではなく「どうしたらこの色眼鏡から抜け出せるか」にすり変わっていた。男は次第に精神を病んだが絵を描くことはやめられなかった。やはり、絵を描くことは好きだったのだ。インターネットには「あの画家がついに精神を病んだらしい」という噂が面白おかしく伝播していた。男は死んだ眼差しでその様子を眺めながら薬を飲み下した。
そんな日々がしばらく続いた頃、古い知人から展示会の誘いが届いた。受けるかどうか悩んだ末に「別名なら」という条件付きで何点かの絵を出展する約束をした。
白いカンバスを前に、さて何を描こうかと男は考えた。頭にあるのはあの、赤い魚の群れである。強い光によって極彩色の羽が溶け、赤い魚達が滅んでいく瞬間がストロボに焚かれたように脳裏に瞬いた。男が手を動かし始めるのを、部屋の片隅からあの魚達の瞳がじっと見守っていた。
展示会はこじんまりとしており、日に何人かの客が訪れる程度だった。男が店番をしていると、大学生らしい年頃の青年が訪れた。青年は男の描いたあの滅びゆく魚の絵の前に立ち、何やらじっと見つめている。時々絵に近付いたり、離れたりを二十分程繰り返しただろうか。他の絵も一通り見た後、置いておいたノートにボールペンを走らせて立ち去った。自分が作者だとはついに言い出せず、男は緊張の面持ちでノートを見た。そこには絵のタイトルと一言、「うつくしかったです」とだけ書き残されていた。
展示会の話は噂にはならなかった。別名を使ったのだから当然といえば当然である。男は今も「見ると死ぬ絵を描く画家」「見る物に不幸を呼ぶ画家」だと噂されている。
しかし、その絵の実物を見た、という噂はあまりにも少ない。
男は今も変わらず絵を描き続けている。噂に心惑わされることなく、時折売れた金で画材を買い、好きなものを好きなように。
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