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横須賀
大正三年、欧州戦争いわゆる第一次世界大戦が勃発。ドイツ、オーストリア、トルコによる同盟軍と、ロシア、フランス、イギリス、そしてアメリカの連合国がヨーロッパの覇権をかけ四年有余も戦い、大正七年、連合国側の勝利で終わった。
大日本帝国は当初、中立の立場を取っていたが、同盟関係にあったイギリスからの強い要請や、ドイツが植民地としていた中国・膠州湾におけるドイツ東洋艦隊の潜在的脅威により連合国軍として参戦、膠州湾及び青島、さらに南洋諸島などドイツ植民地を占領した。そして帝国海軍は連合国の求めに応じ、当時猛威をふるっていたドイツのUボート(ウンターゼーボート:ドイツ語で水面下の舟艇)と呼ばれる潜水艦への対処のため、特務艦隊をインド洋および地中海に派遣した。この派遣で失った艦艇はないものの、Uボートの攻撃などにより帝国海軍将兵あわせて78名が戦死している。
「『明石』がおりますな」
航海長の田辺少佐がかすかに見えるマストの旗を見ながらそう言った。二等巡洋艦『明石』は第二特務艦隊旗艦として地中海に派遣され、無事帰還した艦だった。
「艦長旗が上がっておりませんね」
双眼鏡から目を離さず当直士官が目ざとくそう言った。軍艦はその指揮官所在の指揮官旗を掲揚する。なければ不在を意味する合図になる。
「天野はまた海軍司令部で怒鳴りまくっておるんだろう」
この年、二等巡洋艦『明石』は艦の旧式化を理由に二等海防艦に類別変更をさせられていた。日清、日露戦争において活躍し、とくに日本海海戦では第二戦隊の殿艦として活躍したが、艦齢が進み、とくに機関部は頻繁に修理が必要になっていた。三月に艦長に任命された天野六郎大佐は、ことあるごとに海軍参謀本部や司令部を訪れ、大規模改修を迫っている。
「天野の苦労、か」
陸にあがるたびに抗議・請願に訪れる天野六郎の名をもじって、海軍将校のなかでそう揶揄されていた。
「たしか天野の弟と亜月大尉は同期だったな?」
艦長の水原は双眼鏡を覗いたまま亜月に尋ねた。
「天野大佐の義理の弟であります。安曇与一郎大尉は江田島で同期でした」
「左舷に漁船!距離およそ五百メートル!本艦と並走しています」
当直士官が大声で知らせてきた。艦橋にいた士官全員が双眼鏡をそちらに向けた。前方を航行する駆逐艦の方は気づいていないようだ。
「近いな。まあ駆逐艦に任せよう。本艦はこのまま進路を保て」
海上では小型船は大型艦に進路を譲らなければならないルールがある。漁船だろうが軍艦だろうがそれに従わなければならない。だがこの霧だ。まして灰色に塗装されている大型艦は近づくとかえって視認しにくいのだ。
「漁船の進路変わらず。近づいてきます。距離三百!」
当直士官があわてたように大声を出した。このまま進めば衝突の危険がある。排水量三千五百トンのこの大きな艦体に対し、百トン未満の木造漁船など木っ端に等しい。
「空砲でもぶっ放してやるか」
「また軍令部のお偉いさんにどやされますよ」
「しかたない。面舵五度、微速でな。前の駆逐艦にも信号で伝達せよ」
「面舵五度。微速前進ヨーソロー」
霧の中、漁船が離れて行くのが見える。漁船は機関を止めたようだ。中からひとが出てきて帽子を振っている。やがて後方に下がり、霧の中に消えていった。
「やれやれ、いい気なものだ」
横須賀軍港入港までのあいだ艦橋は緊張が続くが、いまの回避で当直の者たちは少しホッとしたようだ。
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