半舷上陸

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半舷上陸

司令部のある海軍横須賀鎮守府庁舎に、外洋遠征の報告と補給の手続きのため、艦長の水原大佐とともに亜月も書類を抱えて出頭した。水原大佐は鎮守府長官の山屋大将と面会するため亜月とは別れ、亜月は主計部で書類を渡し、庁舎の外に出た。 昼まえだが多くの人が市内を練り歩いていた。ほとんどが工場の工員や技師たちで、なかには女学生たちの姿も見えた。半舷上陸――艦の半数が休息のため陸に上がり、半数は当直として残る――の許可が下りていたので、亜月は実家に戻ろうと思っていた。一泊の外泊も許されていたので、自然足取りものんびりとなる。 「おおーい!克彦!」 でかい声で自分を呼ぶ声に急いで振り返ると、背の高い海軍士官が手を振って走ってくるのが見えた。 「与一郎!久しぶりだな!」 『明石』の乗り組み士官で、同期の安曇大尉だ。街中での偶然の再会にふたりとも少し興奮気味で、しかも二年ぶりだから声も自然、大きなものになっていた。橋の近くに立っていた海軍憲兵隊の将校がいぶかしんでこちらを睨んでいる。 「あいかわらずだなきさま」 「おはんこそ、元気しちょっとか?」 与一郎は懐かしそうに薩摩弁で俺にそう聞いた。まあ聞かないでも顔を見ればわかる。海軍兵学校同期とは、そうしたものなのだ。 「入港は今朝か?霧が凄かじゃったろう?」 「ああ、漁船と衝突しそうになった」 「そりゃ危ういとこじゃったのう。近ごろ鎮守府ば、世間の顔色ばうかがっちうからのう。事故ば起こして新聞にでも載った日にゃ、それこそ海軍省に日参する羽目になっど」 「違いない」 これは誇張じゃない。大正に入ってからの好景気、とくに欧州戦争がはじまって以来、国内の景気は上昇した。明治以来の富国強兵政策で、国民は経済的堅忍を強いられてきた。それがここで一気に解放された。その余波で、自由民権や女性の地位向上を促す運動が活発になって行った。つまり、民衆の力が増してきたと言っていいだろう。 「さて、おはんはこれからどうすっど?もしよければこのままワイにつきあわんぞ?」 そう言って与一郎は盃をかたむける仕草をした。横須賀には海軍が専用に使っている料亭が多くある。そこに行こうということだ。 「俺はこれから実家に帰ろうと思っている。芸妓はまた今度な」 この時代、料亭と言えば酒食以外に芸妓を呼び接待させるのが通常で、与一郎はそういう遊びが大好きな男だった。というより海軍軍人はみなそういう遊びが好きだ。俺は浅草のどまんなかで育ち、そういうのがまわりにわんさかいたから、ある意味無関心になっていた。 「まったくおはんらしい。じゃっどん、こんどはつきあえよ!」 「心得た」 笑い合いながら二人は橋の左右にわかれた。あいかわらず憲兵の将校は俺たちを交互に睨んでいた。
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