idea

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 所長と向き合って、紅茶を頂く。彼女が淹れた紅茶は、茶葉の量も抽出時間も的確だ。温かいミルクティーは、茶葉にフレーバーティーを使ったらしく、甘ったるいキャラメルの香りがする。  手当てと着替えが済んだ少女は、所長の隣で毛布に包まり、すやすやと寝息を立てている。濡れていた髪も乾いて、肌にもほんのりとした血色が見て取れた。 「さっきの話だけどね」  所長が口を開く。口調も、表情も、幾分落ち着いているように見える。普段の彼女だ。 「私の考える人間の汚さってさ。自分の持つ醜さを認めないことだと思うんだよねぇ。誰にでも(ずる)さとか攻撃性ってあるじゃん? 誰かの不幸を願ったりとか、自分の利益のために、誰かを蹴落としたりとか。でも、それは自分にもあるものだって認めない人、多いよねぇ。よくニュースでいじめとか虐待とか取り上げるとさ、必ず皆「こんな酷いことをする人がいるなんて信じられない!」って顔するじゃん? あれ、ぞっとするよねぇ。どの口が言ってるんだろうって思うなぁ」  ティースプーンでくるくるとカップをかき混ぜながら、彼女は続ける。 「正当化が過ぎて、美醜が分からなくなってる人もいるよね。この子を置き去りにした奴も、そうなのかも。きっとね、今頃暖かい部屋の中でぬくぬくとお茶してるよ。粗大ゴミ棄ててきたくらいにしか思ってないって。勝手な想像だけど、遠くはないと思う。……醜いものは他人事。自分だけは綺麗なつもりでいる。そういう傾向が強い人間ほど、正義の名の元に暴力を振りかざす。無自覚に、より残酷な手段で、相手を苦しめる」 「所長なりの正義感ですか」 「そんなものあるわけないじゃん。単に気に入らないってだけ」  からからと笑う彼女を見ながら、成程、と僕は納得する。  つまり彼女は、少女を通じて、人間の業とでも言うべきものに怒りを覚えていたのか。人間の持つ欺瞞(ぎまん)に対する怒り。今回の事例(ケース)における、彼女の利他的行動の背景にあるもの。  これが結論か。  カップの縁を、指でなぞる。 「心無い人間は、多いですからね」 「そうだねぇ。私も心無い人間の一人だけど」  どこか、落胆している自分がいる。どこか、安堵している自分がいる。  理由は分かっているつもりだ。 「人間はもっと、美しくあるべきだ」  僕の言葉に、所長が苦笑混じりに答える。ぐずる子供を、あやすように。 「その気持ちは分からなくはないけど。君の理想は高いからなぁ。大規くんの理想に叶う存在がいるとすれば、それは」 「それは?」   「それは神様だろうねぇ」    ああ。  僕は思考する。致命的な矛盾を自覚しながら思考する。  心など無ければいい。心と知覚されるそれら全てが紛い物なら。幻想なら。錯覚ならば。希望も絶望も期待も落胆も、何もかもが本当は何も無いと証明されたら。  僕は。   (救われるのに)    雪はまだ止む様子はない。    *   「ところで、一つ質問してもいいですか」  使い終わったカップやポットを洗う所長に問いかける。 「何?」 「白雪という名前はどこから? まさか天候から、とは言いませんよね?」 「それもあるけど」 「あるんですか」  所長がくるりと、こちらを向く。 「白雪姫のグリム初版って知ってる?」 「継母に追い出された挙句、命まで狙われた白雪姫が、王子様と結ばれて終わり、じゃないんですか?」 「初版では実の母親に狙われるんだなぁ。そしてきっちり復讐もする。王子との結婚式に、白雪姫は母親を招待する。そして、真っ赤に焼けた鉄の靴をプレゼントするのさ」 「それはまた」 「この子はどんな物語を紡ぐんだろうねぇ。どう思う大規くん? とっても楽しみじゃない?」  くっくっく、と意地悪く所長は笑う。 「大規くん、私からも一つ質問してもいいかな?」 「何なりと」   「君、」   「……何の話ですか?」 「どうして、白雪を私の前に連れてきたの? そのまま通報することも、警察に連れていくこともできたはずだよね? でも君はそれをしなかった。所長である私の判断を仰ぐため? ないね。私の性格を、君はよく知ってるはず。もしかしたら、そのまま見捨てたり研究材料にしてたかもしれないよ? 大体、あんなにがたがた震えている子を、温めるわけでもなく連れてきたこと自体、おかしい。……ねえ大規くん。大規くんは、私のどんな反応を期待したのかな?」 「さて」     マスクの下、僕は薄く笑う。  その問いには答えない。誰に明かすつもりもない。見定めるにはまだ早い。少なくとも、今はまだ。
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