case4 眠兎

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「あーあ。可愛いお顔が台無しだぁ」  冷えたタオルを白雪の腫れた頬に当て、それとは別のガーゼで丁寧に彼女の鼻血を拭う。ここで言う「丁寧」とは、あくまで「日野尾先生にしては」であり、手際の良さは格段に大規先生の方が上だ。僕はといえば、木製の救急箱の角で頭を容赦なく殴られた後、部屋の隅に追いやられている。 「しぃ、みとく、と、あそんで、た、の。みと、くん、やさし、の」 「うんうん、そうだねぇ。でもねぇ、次に眠兎と遊ぶ時は、先生も呼んでねぇ」  こくん、と、白雪が頷くのが見える。ちっ、と、心の中で舌打ちをする。  次からは遊び方を変えよう。 「ね、ね、しぃ、かわ、い? せんせ、しぃ、すき?」 「当たり前だよぉ。先生が白雪を嫌いになるはずないでしょー?」  タオルを当てたまま、白雪をぎゅっと抱きしめ、愛おしそうに額にキスする日野尾先生。これはどっちの世界の僕でも同意見だ。吐きそう。 「み、と、くん、は?」 「部屋の中にいるよ。でも、これから先生、眠兎とちょおっとお話しなきゃいけないから、また後で来るからねぇ。いい子で待てるかなぁ?」 「うん!」  それから先生は白雪の頬に優しく軟膏を塗り、ガーゼを当てた。そして、小さな容器に服薬ゼリーといくつかの錠剤を入れて、スプーンですくって彼女に食べさせた。彼女の喉が小さく動いて、飲み込んだのを確認して、日野尾先生は白雪の髪を梳くように、優しく頭を撫でる。 「じゃあ眠兎、おいで」  終始優しい声で話す先生が僕の腕を引っ張る。  声とは正反対の、有無を言わせない強い力だった。  *    すっかり見慣れた懲罰室に放り込まれる。 「何で他の子と仲良くできないかなぁ。せめて仲良くする振りだけでもして欲しいんだけど」 「遊んでたじゃないですかちゃんと」 「あれは遊びとは言わない」 「白雪が飲んでた薬、あれ、何ですか」 「教えない。自分の記憶に聞いてみたらいいんじゃん?」 「蒼一郎の点滴と同じ感じですか。僕にも投与されてるんですか」 「教えない。っていうか、何で懲罰室に来てるか分かってる? 自分の置かれた立場と状況分かんないような馬鹿じゃないでしょ、君」  沈黙。  先生が、深く深くため息をついて、頭をがしがしと搔く。 「……君はね、頭の出来だけは非常にいいんだよ。ほんっとーに。うちの〝こども〟の中でも一番だろうね。そこは非常にいい。とっってもいい」 「褒められてます?」 「半分はね。でもねぇ、他の子を傷付けるような真似はして欲しくないの。君は大切な〝はこにわのこども〟だ。だから私は私なりに大切にしようと努力してる。白雪だって、君と同じ、大切な〝はこにわのこども〟なんだよ。どちらも大切にしたいの、分からないかなぁ」 「僕も僕なりに大切にしてますよ」  遊び道具として。  先生は僕をじっと見つめたあと、テーブルに片手をつき、半ば呆れたように首を振った。 「そーだねぇ。大切の形は人それぞれだからねぇ。本当、ままならないよねぇ……」  諦めともつかない声で力無く喋りながら、先生は自分のスカートのベルトに手をかける。小さな金属音を立てながら、ベルトの金具を外す。 「君、白雪と遊んでたって言ったね?君なりに大切にしているとも」 「……はい」  先生の、大粒のリチア雲母のような瞳が、怒りの赤色を帯びる。 「眠兎は、蹴る殴る叩くはそれなりに経験したよね? そしてそれを、白雪に〝遊び〟として行った。……君の言う遊びの定義がはっきりしないけど、少なくとも君にとって、蹴る殴る叩くは娯楽として認識されてるわけだ。娯楽。娯楽ね」  緩めたベルトを、そのままするすると引き抜く。細い黒の、革のベルトの先が、だらりと床に着く。 「こういう知識は大規くんの方があるんだよなぁ。怖いよねぇ。そんな知識、何処で仕入れてくるんだか。男だから体力も腕力も私より上だし。後で呼ぶね? それまで、」 「……遊ぶ、って、なに、して」  残酷に笑う先生の顔を見て、察した。自分の声が(かす)れているのが分かる。  余裕は、完全に吹き飛んでいた。 「あー、気を失うかもしれないけれど、命の保証はするよ。さっきも言ったけど、君は大事な〝こども〟の一人だから。君と違って嘘はつかない主義だから安心して。今は難しくても、そのうちきっと、他の子を大切にできるよう、私は祈ってるよ」 「ちょっと待って、先生――」   「じゃ、」    先生の、ベルトを持った右手が上がり、音をたてて宙を切った。
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