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その時、空間を貫くような、重く鋭い鉛色の音が響いた。耳をジンジンさせるその音はやけにリアルで、わたしがまだ生きていることを知らせてくれる。恐る恐る目を開け、音のした方を振り向くと――そこには路上に横たわる大狼と、猟銃を構える物騒な大神くんが居た。穏やかな眠りに誘う“ヒツジくん”が、わたしを悪夢から解き放つ。
「お、大神くん……それ、どうしたの」
「僕の獲物を横取りしようとするから、いけないんですよ」
彼の言葉は何の回答にもなっていない。大神くんはわたしの知らない顔で誤魔化す様に笑った後、その猟銃を遠くへ放り捨てた。そして地面に座り込んだままのわたしの元にやってきて、膝をつくと、銃を持っていた方とは逆の手で何かを差し出す。
「これ、落としましたよ」
それはわたしが落としてしまった“ガラスの靴”だった。彼はわたしを必死で追いかけてきたのか、息が小さく切れており、羊のような天然パーマは額にくちゃっと貼りついてしまっている。
どうして、何をそこまで一生懸命に追いかけてきたのだろう?単なる職場の先輩を心配して追いかけてくるほど、彼はお人好しではなかった筈だ。
「どうしてわたしを追いかけてくるの?」
「人が誰かを追いかける理由なんて、そう多くはないでしょう」
走って来たばかりだからか、彼の頬は上気している。彼もわたしが童話を追いかけたように、何かを手に入れたがっているのだろうか。
わたしは、ここで王子様に掴まってお姫様になるのも良いかと思った。けれどそれでは……物足りない。狼に追いかけられるのは怖かったけれど、何かを追いかけている間は世界が目まぐるしくて、生きているという感じがして、とても楽しかった。だからまだ、追いかけっこを終わらせたくない。
そうだ、今度はわたしが彼の夢物語になろう。彼の中で、わたしは念願の童話になるのだ。
わたしは足の痛みなど忘れたように、すっくと立ち上がった。腕時計を見ると12時まであと僅か。最初の白ウサギ登場から20分も経っていない。もっと長い時間を過ごしていたような気がするが、不思議なことがたくさんあり過ぎて、それだけ気にするのもおかしな話だった。
――終電には間に合わないだろうから、今夜はまだまだ終わらない。
「いけない!魔法が解けちゃうわ!」
「は?」
突然演技がかったセリフを言うわたしに、大神くんがポカンとする。わたしは走りやすいようにもう片方の靴も脱ぎ去ると、靴下で夜に駆けだした。
「さあ王子様!あなただけの物語を捕まえてごらんなさい」
挑戦的に微笑む酔っ払いのシンデレラに、ヒツジの王子様は呆れたように溜息を吐いた。
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