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パンくずに導かれた先は、退廃的な雰囲気の高架下。そこは何故か甘い香りに包まれていた。少し進んだところには、やけに立派な段ボールハウスが建っている。いや、違う……よく見ればそれは、こんがり香ばしいバウムクーヘンの家だった。屋根はカラフルにアイシングされていて、柱はキャンディーバーで出来ている。敷き詰められたウエハースのレンガを、勿体ないなと思いつつザクザク踵で崩しながら、わたしはビスケットのドアに近付いた。チョコレートのノブを回して中に入ると、室内には外の何倍も甘ったるい、キャラメルとチョコレートをよく練ったような香りが充満している。
ココアクッキーのテーブル、砂糖菓子の花瓶、飴細工の花。全てがお菓子で出来ている家の奥、スポンジケーキのベッドの上で、誰かが寝ていた。綿あめの毛布が山の様にこんもり膨らみ、誰かの呼吸に合わせて上下している。魔女だろうか?ヘンゼルとグレーテルには見えない……いや、そもそも人には見えない。
毛布を頭まですっぽり被ってはいるが、身体が相当大きいのか上と下からはみ出ている。マシュマロの枕にうずまっているのは、ぴくぴく動く大きな耳。反対で窮屈そうにしているのは、鋭い爪の大きな足。毛布に覆われた顔のあたりでは、大きな口がモゴモゴ動いているのが分かった。わたしは恐怖でじとっと汗ばみ、手がべたべたするのを感じた。……べたべたするのは、先程ドアノブをひねった時についたチョコレートの所為かもしれない。
わたしが何も言わず、近付きもしないのに痺れを切らしたのか、布団の中の誰かが唸る様に囁いた。毛布の隙間からぎょろっとした目がこちらを睨む。
「どうしてこんなに耳が大きいんだと思う?」
「えっと……」
「どうしてこんなに目が大きいんだと思う?」
「それは……」
「どうしてこんなに口が大きいんだと思う?」
「……わたしを食べるためではない筈だわ!」
わたしは赤ずきんにならないために、慌ててそこから逃げ出した。毛布の中から飛び起きた黒く大きなオオカミが、恐ろしい形相でわたしを追いかけてくる。童話を追いかけていたわたしが、童話に追われる羽目になるなんて……!
わたしはお菓子の家を出て、長い高架下を抜けて、誰もいない夜道を走る。背後に迫りくる荒い獣の息遣い。わたしは振り返る余裕もなくただ逃げるしかできない。右足が地面に触れる度、針を刺すような痛みが走った。狼から逃げる途中、靴の一方を落としてきてしまったのだ。確かにガラスの靴のようなミュールだったが、こんなところまで忠実でなくてもよいのに。
「あっ!」
わたしは足をもつれさせ、その場に転んでしまう。ザリザリと、アスファルトが肘や膝の皮膚を削り取る嫌な音が、骨を通して全身に響いた。痛い、痛い、痛い、怖い!
すぐに逃げなくてはと思ったが、恐怖で縮こまった体は動いてくれない。そうしている内に獣の気配が、わたしを嬲り殺す様にじわじわ追い詰めてくる。わたしは亀が甲羅の中に閉じこもる様に、ぎゅっと目を瞑った。ああ出来ればひと思いに丸呑みにしてください……と祈りながら。
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