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翌早朝、民宿に駐めていた車をまわした。
朝靄がうっすら視界を閉ざしていたが、運転できないほどじゃない。
亡くなった妻のかわりに、八年連れ添った愛車だ。どうせ自分ひとりしか乗らないからと、銀色のコンパクトカーを購入した。今では妙に愛着が湧いて手放せずにいる。
いきなり件の交差点へ直行する気にはなれず、宿の周りを適当に周回してから、そば屋の通りへやって来た。
交差点前、信号機を見上げると赤色だった。
特に不審な点はない。ごく普通の横型の信号機に見える。
白線の前に車を停止させ、色が変わるのを待つ。
一秒一秒が妙に長い。
フロントガラスを睨みつけていると、バックミラーに白のセダンがうつった。
こんな朝早い時間に、自分以外に車を走らせる酔狂な者がいたとは驚きだ。
次の瞬間、右側に灯っていた赤色が消え、真ん中が光った。
黄色……じゃない、白色? いや、なんとも形容しがたい不思議な色だ。あれは、あの色はなんなんだ。噂は本当だったのか。
ハンドルを握る手が汗ばむ。薄く広がる靄が濃くなる。この信号の色では前に進めない。
うしろのセダンが、派手にクラクションを鳴らしてきた。
いやいや、確かに赤じゃないが、青でもない。
「発進」の合図は出ていない。それくらい見れば分かるだろう?
男は苛立ち、うしろの車のクラクションを無視した。
とにかく、今は進んではいけないのだ。
何があってもアクセルを踏むものか。
(私が最もおそれるものが追いかけてくると言ったな。しかし、何も来ないじゃないか?)
頭の中でさまざまな考えがめぐる。
そのうち痺れを切らしたのか、白いセダンが男の車を追い越し、前へ進み出た。交通違反じゃないかと思いつつ、男はそれを見送った。
するとうしろの車、そのまたうしろの車が次々と男の車を追い越していく。いつの間にこんなに後続車が……。
もしかして自分はこのまま、永遠にこの場所に取り残されるんじゃないか。
他の者たちに追い越され、置いてけぼりをくらうんじゃないかーー。
そんな気持ちが迫り上がってきて、耐えられなくなり、男はアクセルを踏み込んだ。
車はぶうんと音を立てて動き出し、まっすぐに走る。前方は深い霧に包まれていた。
男の車が信号機の真下を通過し、白色の世界へ消える頃ーー信号灯は青へと変わった。
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