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10.同期の男
「新しい部長が来たろう? そいつはどうだ?」
休日の昼時。
菅野のマンションへと入り浸るようにして過ごしていた慧兎へと、菅野はそう尋ねた。
リビングで彼と一緒に洗濯物を畳んでいた慧兎は、洗濯物から顔を上げて菅野を見返した。
新しく入った人員とは、部長が不在となってしまったために穴を埋めるべくして派遣された新しい部長のことだった。
彼の名前は飯嶋友(いいじま・ゆう)という。
慧兎より7つ年上で、菅野と同じく高身長・イケメンタイプ。とにかく明るい男性だった。
「はい。とても楽しい方で、いつもは静かだった経理部が賑やかになりましたよ。仕事もすごく理解されてて驚くばかりです。
飯嶋部長って本当に営業部から来られた方なんですか? 経理とは畑違いなのに、ホントすごい方ですねぇ」
そこまで話すと、菅野は何故かダメージを食らったかのように、何かに打ちのめされていた。
(他の男をベタ褒めされると、何だか腹が立つな…)
菅野のこめかみには青筋さえ浮かんでいた。
「…僕、何か変な事言いました?」
心当たりはないが、菅野が怒っていることは伝わってきて、慧兎はハラハラとした面持ちで菅野の返事を待った。
「いや。…そのまま続けて」
菅野は腕組みをしたまま、まるで何かの試練にでも耐えるようにして、慧兎へと話を続けさせる。
慧兎は不思議に思いながらも、そういえばと聞きたかったことを思い出した。
「あ。ちょっと聞いただけなんですけど、飯嶋部長って、蒼太さんと同期だそうですね?」
あれ?じゃあどうして僕にわざわざ同期のことを聞くの…?と、慧兎は素直に疑問を口にする。
「慧兎とソイツが、うまくやれているんなら別に問題はない」
菅野はなんとか取り繕う。
今度、飯嶋と顔を合わせたらどうしてくれようか…という考えは腹の奥へと捩じ込んだ。
飯嶋を経理部の部長に推薦したのは、この菅野だった。飯嶋と同期だった菅野は、彼の人柄を買っていた。営業マンであるもかかわらず経理の知識も豊富で、今回の異動は彼自身の功績にも繋がるだろう。何よりも仕事面で、慧兎の支えになるだろうという確信があった。
しかし盲点があったことを、菅野は見落としていたのだ。
実は先日、飯嶋にも慧兎の様子を聞こうと二人で飲みに行ったところ、彼は慧兎のことをずいぶんと気に入っていた。慧兎のことを気に入るのは菅野も分からなくもなかったが、それが恋愛としてなら話は別だった。
呑屋での、飯嶋の言動が脳裏を過ぎる。
『なにあの従順すぎるカワイイ子、めちゃくちゃ好みなんだけど!』
酒の席ではあったが、菅野には聞き捨てならない言葉だった。
警戒するに越したことはないと思っていたが、慧兎が予想以上に飯嶋に対して好印象だったため、菅野の顔を引き攣らせることになる。
(アイツにはしっかりと釘を刺すべきだな…)
飯嶋にはいずれ話をすることにして、それまでの間だけでも目を光らせておかなければならなかった。
「あれ?」
不意に慧兎は、鳴り出したスマホを見ながら、不思議そうに菅野を見上げる。
「蒼太さん…。飯嶋部長から、着信です」
差し出されたそれは、慧兎のスマホだった。
「…お前、番号教えたのか?」
何で飯嶋が慧兎の番号まで手に入れてるんだと、菅野は内心焦って問い詰める形になってしまう。
「えっ!? だって僕、プライベートしか持ってないし…」
菅野の様子がおかしいのを察知して、電話に出るべきか迷った慧兎は縋るようにして菅野を見あげた。
菅野は諦めたようにため息をつくと、慧兎のスマホを取り上げ、彼に代わって通話ボタンを押した。
『あっ出てくれた! 慧兎君おはよー!』
陽気な第一声がスマホから聞こえた。
スマホを耳に当てていた菅野の顔が、急に険しくなる。
「なんでお前が慧兎に電話してくるんだ? 要件はなんだ」
『えっその声…菅野?! 何なに、どういうこと??』
「…そういうことだ。お前、誰にも言うんじゃないぞ」
それだけ言って、菅野はプツンと通話を解除してしまった。
切ったスマホを慧兎へと返そうと差し出すと、慧兎はワナワナと震えるようにして顔を真っ赤にさせていた。
「あ…勝手に出て、悪かった」
慧兎のそんな様子に気づいて、菅野は自分の取った身勝手な行動を謝罪する。
「そうじゃなくて…! 何でバレちゃうような事、わざわざ話したんですかぁ?」
慧兎は月曜日から飯嶋とどんな顔で会えばいいのかと、そちらのほうが気になって仕方がなかった。
「あぁ…、つい…」
飯嶋を牽制するためだとも言えず、菅野は頭を掻くしかなかった。
「それにしても…休日に飯嶋部長から電話が入るなんて、何かあったんでしょうか…」
電話をかけづらくなった慧兎がぽそりと呟いた。仕事のことを慧兎は気にしているらしい。
(そっちじゃないと、思うんだが…)
菅野は立ち上がると、自分のスマホを置いたままの部屋へ移動する。そこで飯嶋へと電話を入れた。
ワンコール鳴らしただけで、すぐさま飯嶋は出た。
『何だよ。慧兎君と付き合ってるんなら先に言ってくれよなぁ、専務サン!』
同期の仲だからいつもは呼び捨てなのに、ちょっと拗ねたようにして飯嶋は文句をこぼした。
「すまなかったな。ちょっと、お前に腹が立って」
『…お前、俺に謝ってんの? 怒ってんの?!』
相変わらず、軽い口調が電話口から耳に届く。
「で、結局なんの用事だったんだ?」
無駄話を打ち切るがごとく、菅野はピシャリと言い返した。
『えー? カワイイ慧兎君と、飯でも行こうかなぁって』
案の定、どうでも良い感じの返答が返ってくる。
「休みまで誘うなバカが。慧兎の気が休まらんだろう」
『ヒド…! 何それ!!』
「じゃあな」
用は済んだとばかりに通話を終えようとした菅野を、遮るように飯嶋は叫んだ。
『わー! 待った待った! 説明くらいしてくれよなぁ。とゆうか、今からお前ん家行ってもい?』
その、飯嶋の少し上がった語尾からは、好奇心丸出しの様子が窺い知れた。
飯嶋とは入社当時からよく連んでいたこともあって、菅野の自宅へも幾度となく来た事がある。お互いに遠慮なんて言葉は一切持ち合わせてはいなかった。
でも、今日ばかりは例外だった。
「良いわけないだろ」
『じゃあ会社で根掘り葉掘り、慧兎君に聞いちゃおっと。お前のことも、色々話しちゃおっかなー』
これは完全に、菅野への脅迫だった。
慧兎に後ろめたい事実など何もないが、この飯嶋にある事ない事言われるのはさすがに腹が立つ。
それに、慧兎が会社で気まずくなるのを心配していたのを思い出し、菅野は仕方ないとばかりに引き下がった。
「わかった…。その代わり、手土産持参で来いよ。慧兎の好物はケーキだ」
妥協するなよと念を押して、菅野は今度は遠慮なく通話を切った。
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