洗い流す

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 雨よ、降ってくれ。  夜空を見上げながら、私はそう祈る。しかし、曇っていて星こそ見えないものの、雨は降りそうで降らない。  ゆっくりと視線を下げると、暗いけれど見晴らしのいい景色が目に映った。ここは、山の上なのだ。そして、更に視線を下げると、けれどそれはまだそこにあった。  夢だったらいいのにと思っていたけれど、やはり夢ではない。そこには、人の姿があった。倒れている。腹にはナイフが刺さり、その周りには、血が広がっているのが分かる。こんなはずじゃなかったのに。もっと幸せな一日になるはずだったのに。どこで間違えてしまったのだろう。  彼女とは、キャンプのある企画で知り合った。送迎バスの中でたまたま席が隣になって話をしたのが、知り合うきっかけだった。初めて会ったその企画の後、連絡先を交換し、二人で会うようになった。それが、半年ほど前だ。その間ずっと、友達として会っていたけれど、ほとんど恋人同士のような気分だった。少なくとも私の方は、そうだったのだ。だから、今日、きちんと気持ちを伝えようと、この山に誘った。ここで夜空を見ながら、告白するつもりだったのだ。それなのに。  ふとすると、彼女との楽しかった出来事を思い出す。初めて出会ってから半年間、何度か二人でキャンプをしたり、デートをしたりした。彼女は楽しそうだった。私も幸せだったし、きっと二人でいれば幸せになれると思ったのだ。それなのに、本当は、そうじゃなかったのだ。  この山に登って、二人で夕食を食べた。お酒も少し飲んで、私たちは楽しく話をした。そこまではよかったのだけれど。  好きなんだ、付き合ってほしい。  覚悟を決めて言った私の言葉に、彼女は、少し躊躇した後、申し訳なさそうに、ごめんなさい、と言った。その後の沈黙は、私にとってものすごく長い時間に感じられた。ようやく、どうして、と聞くことができたけれど、彼女は私をそういう対象として見ることができないらしい。これまでのいろんな楽しかった思い出が、私の中で崩れていく。彼女は、楽しかったけれど、そういう目で見たことはなかった、とはっきりと言った。    お酒を飲んでいたせいもあるのかもしれない。ここが山の上で、少なくとも近くには誰もいないということもあったのかもしれない。上手くいかなかったことに腹が立ってしまったのかもしれない。私は彼女を押し倒してしまった。  彼女は、強い力で私に抵抗する。その強さに思わず私が彼女から離れると、彼女も私から離れ、そして側にあった料理用のナイフを手に取った。それをこちらに向ける。  彼女は、怯えているのと、怒っているのと、両方を混ぜたような表情をしている。そんな彼女の表情を見たのは初めてで、私はさらに混乱する。何故だろう。何故こんなことになったのだろう。頭の中は混乱していたけれど、理性は抑えられず、もう後には引けないような気持ちになっていた。そして私は再び、彼女に襲いかかってしまったのだ。  その後、しばらく経って、私はようやく我に返って冷静になった。でもそうなるのが遅かった。その時には、もう、こうなってしまっていたのだ。
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