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アカリはオレに背を向け、薄い雲が漂う茜空をバックに大学へと駆け出す。アカリはいつでもアカリだった。
✽✽✽
帰宅後、オレは「おかえり」すら口にしない両親を無視して、ふと浴室に向かい衣服を脱いだ。湯船に浸かると、たぽん、と水面が揺れる。つい「ぼへぇ」と力尽きた声を上げながら、オレはアカリの言葉を脳内再生した。
植物は根が深くまで突き進んでいるほど、ちょっとやそっとの引っ張りでは抜けない。なのにトペラの現状ではどう足掻こうが前者にしかならず、ひ弱な名もなき雑草に成る道を辿ることとなる。それは自分でも薄々理解していた。では後者に成るために、オレに足りないものは。―――あの言葉をオレなりに解釈すると。
「大事なのは見た目や出来栄えではなく、それまでの過程や努力、感情か」
こんなことは当たり前に過ぎない。綺麗事でしかない。でも、アカリはこの言葉を通して、オレに不足していた点を教えてくれた気がする。
……オレはいつから「魔法を成功させる」ことばかり考えるようになっていた? 本当は、無闇矢鱈に努力するだけで報われると勘違いしていたのでは? それに「オレの魔法で皆を笑顔にする」をモットーに練習出来ていたか? 実際は口だけで、中身の無い練習になっていたのではないか?
湯船から立ち上がり、数秒してからまた元の位置で体育座りになる。
オレは馬鹿だ。変に感傷して悲劇のヒーロー気取ってんじゃねーよ。オレが悩んだことの結論は、既にオレ自身の中で出ていたのではないのか。
……悔やむが肥料とするならば。きっと土は「挑戦」で、日光は「仲間」で、水は「情熱」だ。
肥料を与えすぎると植物が上手く成長しないのと同じで、後悔を多量摂取しては努力も生かせない。だから挑戦とのバランスが大切になる。日光が無くても植物は生きられるが、完全に育つことは夢のまた夢になる。結局は居ないと駄目な存在が日光だ。
最後に、水。情熱も水と同じように、沢山蓄え過ぎても少量過ぎてもいけない。でもこれが失われたら、成長どころか才能が発芽する機会にも別れを告げることになってしまう。オレに特に必要なのは、水だ。
右人差し指を湯の外に出し、目を瞑る。深呼吸を一度、二度、三度。お婆ちゃん、見ていてよ。オレの才能や努力の種に、雨よ降れ。人差し指を上に反らす。
「“練習用水魔法”」
目を開けて第一に飛び込んできた映像は、水飛沫が宙で踊る様子だった。
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