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 KANBE銀座タワーが、植物に覆われると周辺は、立ち入り禁止区域となった。  とはいえ、遠くから『花の檻』と呼ばれる異形のタワーは撮影は可能で、連日ワイドショーや国会で討論され、SNSや動画サイトでは陰謀論や、不気味な噂などが飛び交っている。  世間では、この『種子連続殺人事件』のお陰で、花全般にトラウマを感じ、拒否反応を示す者も多くなった。  そのため、園芸関係は一時的に業績が下がって苦境に立たされているようだ。  また、高階葵が国内、国際的にも有名な『神部グループ』を標的にしていたことから、一部では熱狂的な支持を得て、カルト的な信仰の対象になってしまう。  富豪層を狙うテロは、貧しい者、彼らに恨みを持っている者たちに、支持される傾向がある。けれどそれも、半年もしないうちに人々の興味は、薄れていくだろう。 「神部グループは、神部凜花と優花のいじめ殺人だけじゃなくて、明彦の汚職や政治家への賄賂(わいろ)についても調査されることになったようだな。神部グループの株価は下落してるし、実質、経営破綻している。このまま解体されるだろうな」  鬼頭は、新聞を無造作に机に置くとタバコを無意識に取り出す。ソファーに座る佐伯が軽く咳払いすると、彼を睨んだ。 「一応、ここは、僕が借りている事務所だ。タバコを吸うなら、喫煙スペースに行け。隠れて部屋で吸っても、匂いで分かるぞ」 「へいへい。佐伯様には逆らえませんねぇ」 「それで、高階葵の遺体は見つかったのか」 「赤坂に聞いてみたが、いくら花の檻の中心部を探しても、葵くんの遺体は見つからなかったらしい。もう、あの花の檻が彼自身なのかもしれないな」  鬼頭は、解体されはじめた『花の檻』を遠くから見ていた。あの事件の後、鬼頭はボイスレコーダーを警察に渡した。神部凜花を被疑者死亡のまま書類送検したあと、警察を辞めた。  葵が望んだ通り、神部グループは破綻寸前で、どこかの財閥に吸収され、数年後にはもう人々の記憶には残っていないだろう。そして彼はすべての復讐を終えた。  この事件を通して、いかに自分が刑事に向いていないかを、鬼頭は痛感する。そして、佐伯に誘われ、退職後に探偵事務所を共に設立した。  御曹司の道楽か、と鬼頭は思ったが金銭的には、ずいぶんと佐伯に助けられて、この偏屈な友人に恩を感じている。  二人は性格から趣味まで真逆で正反対なのに、お互い組織に属するのは苦手。しかし犯罪や調査をするのが得意という共通点がある。  つまり、ビジネスパートナーとしては、彼らの馬は合っている。 「鬼頭、君がここに事務所を構えたいと言ったときは驚いたな。いっこくも早く事件のことを忘れたいと思っていたが」 「お前、俺の性格も全部お見通しなんだろ、犯罪心理学者さんよ。すっとぼけて茶番したって、全部バレてるぞ」  佐伯は、鬼頭の皮肉に鼻で笑うと、窓から見える『花の檻』に視線を移す。まるでビル全体が高階葵の美しい骸のようだ。 「一応、これでも『らしくない』くらいに相棒に気を使ったんだけどね。事件現場付近に職場を移すことで、君は事件を忘れないようにしている。こんなことは、心理学でもなんでもないよ。君の中の教訓、ジンクス……。言葉はなんでもいい」  以前の佐伯なら『過去に拘るな』と切り捨てていただろうが、鬼頭は刑事をやめて探偵業へ転職した。組織ではなく、自分自身の正義を信じることを選んだ鬼頭は、いずれあの事件現場が通常に戻り、世間が忘れ去っても、鬼頭の記憶に、人生のターニングポイントとして種子連続殺人事件は刻まれる。 「今度、凛さんの墓参りに行かないとな。葵くんの骨でも見つかったら、俺が引き取って、彼女と同じ墓に納骨してやりたいが」 「ああ、そうだね。彼は世間的には連続殺人犯だが、あんなことがなければ、おそらく復讐とは無縁の人生だったはずだ」  ひとつだけ救いがあるなら、以前から問題視されていた『いじめ』への罰則が、今まで以上に重くなったことだろうか。 「しかし墓参りに行く前に、あの浮気調査の仕事を進めよう」  佐伯はそう言うと、先日この事務所に訪れたクライアントの資料を鬼頭に手渡す。 「クライアントの話を聞く限り、調査相手の夫には不審な点がいくつかある。過去の経歴を調べると、元妻が全員が亡くなっていた。僕は彼が殺害した可能性があると考えている。なぜ警察が見落としているのかは、疑問だが」 「保険金殺人か、それとも遺産目当てか。見落としたというより、おそらく犯人に繋がる有力な物的証拠がなかったんだろう。浮気は次のターゲット選びだな。このヤマは証拠を集めて、早めに警察に突き出してやらねぇと」 「ああ、次の被害者が出る前に」  鬼頭は立ち上がり、ジャケットを羽織った。佐伯もそれに続くようにゆっくりと立ち上がってチェスターコートを取ると、『鬼頭探偵事務所』の扉を開け羽織る。  凸凹コンビの二人は颯爽と歩き出した。
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