第4章:私の彼氏はちょっとだけ愛がオモい。

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(目的はなんだ? 水野さんを潰す為ではないのか?)  何か意図的なものを感じる。これだけのネタを掴んでいながら、記者は壱を名指しせず、あくまで曖昧な表現に留めている。それに加えて、被害者とされる女性──葵依についての記事も同様にぼんやりとしていた。  記事の中で「女性」としか書かれていない被害者の描写には、彼女の年齢や仕事、具体的な生活背景などが全く書かれていない。普通なら、被害者女性を全面に押し出し、彼女の苦しみや恐怖を強調するのがこうした記事のパターンだ。特に、壱のような警察官の不祥事であれば、世間に対するインパクトを強めるために「被害者」の存在感を最大限に利用する筈だ。 (葵依が被害者として描かれているはずなのに、彼女についての情報が少なすぎる……)  壱は再び記事を読み返した。女性が「彼のストーカー行為に怯えていた」「盗聴器を仕掛けられた」といった事実は書かれているが、具体的な人物像や感情に関する描写は極端に少ない。普通なら、女性が感じた恐怖やショックを詳細に伝えることで、読者の同情を引き出し、記事全体をよりセンセーショナルなものに仕立て上げるのが一般的だ。それが、この記事では殆ど行われていない。 (これじゃ、被害者の存在感がぼやけてしまってる……)  違和感しかなかった。  もし本当に葵依を守る為に情報を伏せているのだとすれば、それはあり得るかもしれないが、これほどまでに葵依に関する詳細をぼかすのは不自然だ。通常、こうした記事では被害者の感情を際立たせ、加害者とされる人物を一方的に悪者にする。しかし、この記事では加害者として描かれるべき壱の情報も、被害者であるはずの葵依の情報も、曖昧なままだ。  壱はその点に不審を抱いた。  普通なら、彼女の苦しみや恐怖をもっと強調する筈なのに、それが全くされていない。それどころか、記事全体が壱と葵依の関係に焦点を当てながらも、その肝心な部分については曖昧に留めている。 (なぜ、ここまで伏せているんだ?)  伏せてもらった方が助かるのは助かるし、葵依が身バレしないで済むなら伏せてもらった方が助かる。しかし、加害者の壱と被害者の女性の情報があまりにも曖昧なのだ。  壱は執務席に広がっている写真の山に視線を向けた。  写真には、彼が葵依のアパートを出入りする様子が繰り返し映っている。殆ど夕方や夜、彼女の家の前で撮られたものだ。 「金城、何をしている?」  黒沢が声をかけてきたが、壱はそれを気にもせず写真を並べた。 (なんでこればっかり)    自分の過去に関しては何も触れられて殆どない。壱は眉を顰めながら思った。 (俺を狙ってるなら、もっと掘り下げられる筈だろ……。学生時代のことだって、いくらでも書ける筈なのに)  その瞬間、ある種の違和感が壱の胸に押し寄せた。  手に取った写真をじっと見つめる。殆どの写真は葵依のアパート周辺で撮られており、壱が彼女の部屋に出入りするところばかりだ。まるで、彼女の生活が監視されていたような──。 (俺じゃない……葵依が狙われていたとしたら?)  思わず息を呑んだ。  壱は自分がターゲットではなく、最初から葵依が監視されていたことに気付いた。 (そうか……葵依が最初から見張られてた)  壱の脳裏に、葵依のアパートのキッチンに仕掛けられていたカメラが浮かんだ。あれは常に作動しておらず、大きな物音に反応する。まるで、葵依のプライバシーを守るかのようだった。  机に並べた写真の中で、特に古いものをじっくりと見つめる。それは、葵依のアパートを彼女と交際し始めたばかりの頃に撮られたもので、壱がラフな服装で、仕事に行くような格好ではなかった。 (これが一番古い写真……でも、これが撮られる前は? 俺がコンビニに通ってた時期とか、その前の写真はないのか? あと、仕事の時の俺とかはないか?)  更に写真を並べ直すが、それ以前のものも葵依のアパート以外の場所で撮られた写真は見当たらない。壱が葵依と付き合い始めた頃からしか撮られていないようだ。 (やっぱり……最初は葵依を監視していたんだ。俺は、彼女を通して巻き込まれたんだ)  壱は葵依を通して監視され、記事に仕立て上げられた。 (俺を追っていたんじゃない。監視対象のところに俺が現れたから写真に撮られた──……)  壱の写真が葵依のアパートしかなく、マンションに引っ越してからの写真が存在しないのは、マンションには常にコンシェルジュが居て、目の前にディスカウントストアとスーパーがある。そんな場所に車を駐車すると、目立ってしまって監視が難しいから現在の写真を撮られていない──壱はそう予想した。  葵依がターゲットの理由が分からないまま、ますます深い疑念に包まれる。彼女は何か大きなものに巻き込まれているのか? それとも、もっと個人的な何かが関わっているのか? (葵依……)    壱はその一瞬、手にしていた写真を強く握りしめた。  葵依の声を聞いて、彼女が無事かを確認したい衝動に駆られた。無性に葵依の声が聞きたい──……。 (声を聞きたい……それだけでいい)  壱は無意識にスマホに手を伸ばし、葵依の名前を表示させた。彼女が元気でいてくれるなら、それだけでいい──今の壱には、それ以上のことを望む余裕がなかった。気持ちを整理する間もなく、ただ葵依の無事を知りたいという思いが、彼の全てを支配していた。 「金城!」  黒沢の声に、壱は動きを止めた。やっと反応を示した壱に安堵しつつ黒沢は「どうした?」と訊ねた。 「俺、気付いたんです」 (狙われていたのは俺ではなく、あお──……)  肩を叩かれ、壱はハッと目を見開き肩を叩いた人物を見やった。
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