第4章:私の彼氏はちょっとだけ愛がオモい。

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「すまん」  謝罪の言葉が耳に届いた瞬間、水野の拳が壱の右頬を鋭く打ち、激しい衝撃が壱の顔面を突き抜けた。   「いってぇっ!」  咄嗟に受け身を取ることができず、壱は身体ごと後ろによろめき、勢いよく壁にぶつかった。廊下に鈍い音が響き渡り、衝撃に息が詰まる。壱は痛みを噛み締めるように右頬を押さえ、呼吸を整える為に大きく肩で息をした。  熱を帯びた頬がじんじんと痛み、手のひらに触れる感覚が鋭く跳ね返ってくる。壱はそのまま壁に沿って腰を落とし、冷たい廊下にしゃがみ込んだ。   「名前を呼んでも返事しないから殴った、すまん」  水野が静かに謝罪する。その言葉に、壱は右頬を押さえながら   「謝罪と一緒に殴られても、避けられませんよっ!」  と返した。  少し怒りを含んだ声だったが、水野はそんな壱を冷静に見つめた。 「頭を冷やそうと思って」 「だ、だからと言って殴らなくてもいいじゃないですか……」  水野の問いに、壱は少し戸惑いながらも答えた。   「ま……まぁ……いや、あの……葵依を保護したいんですけど……」 「時間がないんだ」  心配が募り、どうしても壱は葵依の安全が気になる。壱が見た写真の中には彼のマンションに引っ越してからの写真は撮られてはいないようだが、だからと言って監視していないとは限らないのだ。   「まずは金城の記事を外してもらうのが先決じゃないか? そうしなければ、お前は白石さんと今後普通に暮らせないぞ」  水野の言葉に、壱はハッとする。「普通に暮らす」という言葉が頭に響いた。   「普通……」  葵依とスーパーで買い物をしたい。   『行ってきます』 『行ってらっしゃい』 『お帰りなさい」』 『ただいま』 『いただきます』 『いってらっしゃい』   『おはよう』で始まり『おやすみなさい』で一日を終わりたい。  そんな当たり前な会話をして、当たり前の生活を過ごしたい──……。   「結婚したいんだろ?」 「はい!」  突然の直球に、壱は躊躇うことなく自信満々に答えた。その即答に、水野は驚いたように少し目を見開いたが、やがて口角が上がった。今日初めて見る彼の笑顔だった。   「まずは金城の記事を止めてもらおう」  水野の言葉は冷静で、冷静さが欠けていた自分にとって有難いものだった。壱は、力強く頷いた。彼から殴られたことで欠けた冷静さが戻ってきたのもあるかもしれない。 「白石さんのことは心配するな」 「大丈夫だから」と水野の力強い声音に壱は「はい」と噛み締める。  壱は自分の決意を強め、改めて水野を見つめた。水野は自分が想像もしない重大な秘密を隠しているような気はするものの、壱は水野がサポートしてくれると信じ、葵依との未来の為に必要な行動を起こす決意を固めた。 (全ては葵依との幸せな未来の為に)   「行こう」    水野は壱へ右手を差し出し、壱はそれを迷いなく掴み立ち上がった。その瞬間、壱の心に秘めた不安は少しずつ薄れ、彼の背筋は伸びたのだった。  
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