第4章:私の彼氏はちょっとだけ愛がオモい。

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「叔父さんには一緒に住むって報告していたの?」 「私はしていたつもりだったんだけど……叔父さんは私が壱さんのお姉さんのマンションに住んでるって思わされてたみたいで……」 「どういうこと?」 「お義姉さんは結婚して『市』って苗字に変わって、名前も壱さんと同じ『いち』って読むんだ。それを使って叔父さんにお義姉さんのマンションに住んでいるって思わせたみたいなの。叔父さんはそのまま信じたみたいで……私も、てっきり叔父さんが呼ぶ『いち弁護士』って壱さんのことだと思っちゃって。叔父さんは壱さんと暮らすのを許可してくれたとばかり思ってた……」 「それは、不誠実って思われてもしかたないかもね……」 「うん……まさか壱さんがそんなことをしてるなんて思ってなかった。ちょっとショックだったけど、アパートはセキュリティが甘いから、壱さんなりに考えてくれたんだろうって思う。それにね、一緒に居てとっても楽しかったし、寂しさもなかったんだ……」    葵依は、壱が自分のことを守ろうとした気持ちを思い返しながら、ふと笑みを浮かべる。しかし、その胸には叔父からの厳しい言葉が重く圧し掛かり、次の言葉が喉につかえて出せずにいた。  葵依は湯飲みを握る手に力を入れて、ゆっくりと息を吐く。 「叔父さんから別れなさい、って……言われちゃって」 「年上って理由もあるだろうけど、可愛い姪っ子と同棲してたから腹は立つよ。金城さんは葵依のことをすごく好きなんだろうけど、嘘を吐いちゃいけない人に誠実に向き合わなかったのはアウトだと思う」 「叔父さんに嘘を吐いちゃったし、私より年上だからって理由はもちろんなんだけど……」  茂の冷たい目を思い出して、葵依はぐっと奥歯を噛み締める。 「叔父さんに、もし最初から報告してたらどうなったかって聞いたの。そしたら『警察官だからって理由で許可は出さなかった』って」 「叔父さんが、そんなふうに言ったの?」 「うん……警察が嫌いみたい。理由は聞いたんだけど、知る必要ないって」  葵依は茂の冷たい目を思い出す──あんなに苛立っている茂を見るのは初めてだった。 「それに」と葵依は息を吸い込んだ。 「……壱さんと別れないとSSIを潰すって、叔父さんに言われて」 (──言葉にすると現実になりそうで……怖い)  葵依はそう言うと、ギュッと瞼を閉じる。 「そんな……」  葵依の言葉に万里は言葉を失い、じっと彼女を見つめた。 「私のせいで、壱さんが僻地に飛ばされるかもしれない。それに、万里のお父さんもSSIにいるのに……私が何も考えないせいで、色んな人に迷惑かけちゃうなんて……」 (水野さんのことだってそうだ)  私がパパ活に誘われただなんて思いもせずに、お金を貰ってしまってそれを水野さんに相談した。そのせいで、水野さんが誤解されるようなフェイク記事を書かれるようなことにならなかったのに。  葵依の声は震え、言葉の最後が涙に飲み込まれた。申し訳なさそうに、彼女は万里に視線を向ける。  万里は、ぽろりと涙を零した葵依の肩をそっと抱き寄せて、「大丈夫だよ」とだけ、静かに言葉をかけた。その優しい声に、葵依は唇を震わせた。 「SSIは警察組織が創立した組織だよ? そう簡単に潰せたりしない」  葵依はその言葉に「でもっ」と首を横に振って否定する。 『金城と別れないなら、キャリアを潰すだけではなくSSIも潰す』  そう告げた茂の目は真剣だった。あれを冗談だと葵依には思えない。  万里は暫く黙って葵依を見つめた後、静かに息を吐く。   「もしも本当にそうなったとしても。それは葵依のせいじゃないよ。葵依は、自分の気持ちをもっと大事にしていいと思う」    葵依は万里の言葉に、胸の奥が少し解けるような感覚を覚えた。しかし彼女はすぐには納得できず、すぐに首を横に振った。 「でも……私のせいで、壱さんのキャリアが危うくなって、壱さんだけじゃなくて、皆のキャリアを……」  葵依の声はまた震え、続く言葉が詰まる。万里は優しく微笑み、彼女の肩を抱き締めたまま語りかけた。 「たとえ何が起きたとしても、私は葵依の味方だよ。SSIがどうなるかなんて心配しなくていいし、何があっても葵依が自分の気持ちに正直でいてくれることが一番大切だって思う」    万里が優し過ぎて葵依は、ぽろぽろと涙を零した。雨の中であんなに泣いたのに涙は枯れていなかったようで。  暫くそのまま、そっと抱きしめていた万里が、ふと抱きしめたままの姿勢で葵依の顔を覗き込む。 「ねえ、葵依。他にも……何かあったんでしょ?」  万里の言葉に、葵依はギクっと肩を揺らした。  葵依の頭の中に、一木とのやりとりが蘇る。彼女の冷たい目と、脅しの言葉が耳に残り身震いする思いだった。 『お金を払え』  もしそれを万里に打ち明けたら、さらに心配をかけてしまうのではないか──葵依の心は揺れていた。  けれど、万里が一瞬の間を置いて葵依の頬に目を留める。 「そのほっぺ、誰に殴られたの?」  万里に頬が赤くなっていることを指摘されて、殴られた跡を葵依は摩った。色々あり過ぎて殴られた痛みを忘れていた。 (こっちのこと、か……)  葵依はほっとしたような表情を顔に浮かべる。  心の中で隠していたものが一瞬浮かんだが、そこまで追及されなかったことで安堵を覚えた。万里の視線に一瞬視線を交わし、葵依は少しずつ、自分の痛みを話し始めた。
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